【きかんぼサキ第2部】語るなかれ、聞くなかれ | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】語るなかれ、聞くなかれ NEW

2025.05.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 年末年始のお客様が落ち着いた頃、サキノの家では必ず出掛ける場所がある。それは、栃木県鹿沼市にある「古峯神社」。集落の皆が「古峰ヶ原(こぶがはら)様」と呼んでいる。この通称は神社が鎮座する場所の地名からきているようで、火伏の神様として有名なところだ。サキノの地域では、そこをお参りする人たちが帰って来てから集う「古峰ヶ原講」といったものもある。なじみの深い神様ではあるが、代参と言って、本人の代わりに誰かに託しお札を頂いてきてもらうこともあり、サキノの家のように毎年欠かさず詣でる人は少なくなったようだ。
 古峰ヶ原様に行きお札を頂く。これを欠かさず行うようになったのは、紀由の頃からと思われる。それ以前も集落でまとまり、列車や貸し切りバスでお参りに行ったことはあったようだ。それが、紀由の家が自家用車を持ったことで集落の人たちを乗せて行くことが恒例となったのだろう。かれこれ60年以上にはなる。年も明けた一月初旬には、神棚に決まって新しいお札が立てかけられる。それが年中行事のようになっている。

 旅館の創業者乙松は、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)に毎年詣でていたという。乙松の孫(サキノの義妹)に当たる角田伸子さん(81歳)がこう語る。
「嫁いできて、あらためておら家は信心深かったんだなぁと思ったよ。すぐ隣の村なのに、それぞれのウチによって違うんだなぁと。実家では新年は梅漬けに砂糖と湯を入れた梅湯を飲むことから始まってた。茄子や胡瓜などその年初めて採れた野菜は、必ず上げ申してから頂くものだった。乙松じぃは裸一貫から始まったから仏壇なんて持たなくて、最初はお茶箱の中が仏壇代わりだったなぁ。そして後になって敷地内にあった欅を使って、大工さんに総欅の仏壇作って貰った。そして、どっかで本尊様を受けてきたようだった。私が高校の頃、初めてじぃに出羽三山に連れてって貰ったんだが、羽黒山の石の階段で一休みした時、いきなりマムシが出て来たのな。そこでじぃが、“これで、にしは一生金に困んねぇでいられるぞ”って言ってくれたっけ。あの時のことは、今でも忘れられねぇ思い出や。とにかく、じぃは神様、仏様きちっとお参りしてたなぁ」
 二代目の由松は、サキノが嫁いで一年も経たないうちに入院生活に入ってしまったから、乙松の出羽三山詣では紀由が受け継いだ。出羽三山に行くと泊まる宿坊が集落ごとに決まっていて、玉梨と八町といったニつの集落が一緒に行った際も、それぞれに分かれて宿に泊まっていたという。乙松の泊まる宿坊は、宿坊の中でも格の高い宿坊らしかった。いつ頃だったか、紀由はその宿坊から65年続けて来ているということで、記念の半袈裟(肩に下げるもの)を頂いたこともあったという。結局、紀由は出羽三山と古峰ヶ原様どちらにも毎年行っていたのだった。
 サキノが紀由と一緒に行ったのは、出羽三山の方だけだったという。出羽三山とは三カ所を詣でると生まれ変わりを意味するということで、羽黒山は現世の幸せを祈る現在の山、月山は祖霊の安楽と往生を祈る過去の山、湯殿山は新しい生命の誕生を祈る未来の山と捉えられている。サキノが当時を振り返り
「初めて行った時は何にも分かんねぇべ。言われた通りにお参りしてたんだ。湯殿山に行った時だ。こっからは裸足で行くんだぞ、って言われて進んで行った。やぁ、たまげたことあって、気持ち悪くて、おっかなくて、やっとやっと入り口まで戻って来た。したが、この湯殿山のことは“語ってはなんねぇ。聞いてはなんねぇ”の決まりがあんだど。したからやたらに教えるわけにはいかねぇが、あん時はさすがのオレも参ったっけ。まぁオレの苦手なもん想像して考えてみっといいわ」
 サキノのこと、そんな決まりがあっても勇ましい話なら語ってしまいそうだが、この時のことはその程度しか語らない。その後何度か連れられて行ったものの、湯殿山だけはとうとう立ち入ることが出来ず、最初の一度だけしかお参りしていないという。せっかくはるばる訪ねながらも二カ所しか巡っていないとは、あまり気持ちのいい出羽三山詣でだったとは言えないようだ。
 あれこれ思いを巡らせてみる。霊場特有の何かが現れたものか、いやいやサキノがそうしたものを怖がっていたことは記憶にない。霊感の話も聞いたことはない。きかんぼ故に苦手なものの話など自分からはしたがらない。よって、この話も早々に切り上げてしまったのだ。
「語るなかれ」「聞くなかれ」と口外することを禁じる湯殿山の決まりのお陰で、サキノは幸いにも弱みを語らずに済んでしまったようだ。松尾芭蕉がこの地で詠んだ歌、

  語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな

 芭蕉は湯殿山の佇まいの中、思いにふけり涙で袂を濡らしていたのかもしれない。
サキノにとっての“語られぬ湯殿”はどんな心境だったものか…。出羽三山への思いも込めて、古峰ヶ原様詣ではこれからも続いていくのだろう。