ユネスコエコパークの只見町 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

ユネスコエコパークの只見町

2025.05.01

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

 只見が「ユネスコエコパーク」に登録されるずっと前、新聞を読んでいた夫の章一が、
「おい、只見はこれがいいんねえが」
 と、読んでいた新聞を差し出しながら言った。そこには、ユネスコエコパークの理念である「自然と人との共生」のことを始め、登録の条件などが、すっきりと分かり易く、理想的に書かれていた。
「只見は自然しか無いぐらい山ん中だし、そごに暮らしているわけだから、いいんじゃねえの」
 と、二人で大いに盛り上がった。けれどもその後、「いったい、それを誰がやって行ぐのがな」の一言で、話が行き詰ってしまった。

 ユネスコエコパークとは、分かりにくい言葉なのだが、ユネスコ(国際教育科学文化機関)が推し進める、「生物圏保存地域」のことであり、自然と人間生活の共生のモデル地域としてユネスコに申請し、認められて登録される。同じユネスコ世界遺産の自然遺産は唯一絶対保護保全が目的であるのに対し、ユネスコエコパークは自然の保護、保全は勿論目的の一つだが、ここにある豊かな自然や文化等の調査研究や人材育成をも目指し、そしてまた、ゼンマイ折り、手仕事、芸能等々の伝統的な生活を維持し、力のある地域社会を構築し、経済発展に繋げていこうというのが大きな目的となっている。2024年7月現在で136か国、759の地域がユネスコエコパークに登録されているが、日本にはまだ、10か所しかなく、只見は2014年に登録された。

 只見は戦後復興の大号令のもと、巨大なダムが次々に建設され、生まれ故郷を離れた人も大勢いる。そこでは伝統的な生活様式、文化等は尊重されず、何よりそれらに対する考え方が大きく変わってしまった。ところが、ユネスコエコパークの登場によって、只見の自然の特異性やそれに基づく生活文化の多様性が見直された。章一との会話の「誰がやるの」の難題も、著名な先生方の後押しや、大々的な講演会、繰り返された草の根の小さな講演会などの開催により、徐々に推し進められて、私の目にはいとも簡単に、ユネスコエコパークに登録されたように思われた。正に、自然や文化の価値観が失われる寸前の危機一髪だったのではないだろうか。
 町ではその後、動植物の保護条例を制定、公認ガイドの育成、伝承産品のブランド化等々、様々な取り組みを行っているが、まだまだ、この町の一人一人が自分のこととして受け止めるまでには至っていないように思える。
 今、「奥会津に生きる」のコーナーに書かせて頂いているのは、書くことが苦手な私でも、過疎高齢化に喘ぐ人、あるいはそれなりに楽しんでいる人にも柔らかな風をお届けできる場であると思えるからだ。それが、奥会津に生きている、私なりのユネスコエコパークの関わり方なのかも知れない。