【きかんぼサキ第2部】日本秘湯を守る会 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】日本秘湯を守る会 NEW

2025.04.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 旅館には見ず知らずの人が訪ねて来ては泊まっていく。初めて訪れた人は宿帳を書いて頂くまで、どこから来たどんな人かは分からない。日々新たな出会いを繰り返している。でも、温泉や旅館に興味を持つ人がぶらっと訪れ、立ち去る。まるで風が通り抜けるような束の間の出会い。旅館には、そんな出会いも知らぬ間にいくつも繰り返されているのだろう。
 今から20年位前になるだろうか、ある方が突然1冊の本を差し出してくださった。それは『つげ義春の温泉』という本だった。その方は「こんなの当然持ってるでしょうが…」と言いながら、おずおずと見せてくれた。
 ページをめくり驚いた。何とその本にはサキノの旅館の写真が掲載されていたのだ。ちょうど昭和44年の水害後の旅館が写ったもので、つげさんご本人が撮影されたものらしい。
“つげ義春”という名前は、恥ずかしながら家族の誰も知らない名だった。そのため、見たこともない本だったのだ。

 

 つげさんとは、『ガロ』という雑誌があった頃にカリスマ的な人気を誇った漫画家とのこと。サキノに確認したものの
「こぉだ人知らねぇなぁ。何しに来た人だっただべ?ひとっつも思い出せねぇな」と。
サキノがそう言うのも当然で、編集者のエッセイによると、訪ねてみたら水害後で宿はやっておらず、近くに宿をとったようだった。直接お会いしていないのだから記憶はありようもない。
 つげさんが玉梨温泉を訪ねられた頃、遠くからこの温泉を目当てに来る人はそうそういない時代だった。地元や近隣からの湯治。あとは仕事で来た方の宿泊。それがほとんどだったようだ。つげ義春という独特の世界観を築いた方が、“鄙びた温泉地”に魅力を感じて巡っていたのは、極めてマニアックで稀有な旅だったといえる。もしその時営業していたら、どんな会話があったのだろう。都会から山の温泉宿を目的に訪ねて来る。こんな価値観もあることを、サキノたちは気付いただろうか。

 “秘湯”という言葉を生み出した方がいる。朝日旅行会を創業し「日本秘湯を守る会」を立ち上げた故岩木一二三氏。その方が昭和50年4月にこの会を立ち上げるに当たり作った言葉とされている。バスも通わぬ交通の不便な小さな山の、温泉宿33軒が集まり創立された会だった。
 ある日突然、旅館にいた紀由を訪ねる人があった。「日本秘湯を守る会」への入会を勧めに来た人だった。昭和53年頃のことと思われる。
「オレは忙しくて相手出来なかったが、入って来た時から品のいい、ちゃんとした人だから、これは変な物売りではねぇって安心してお父さんに任せたっけのや」
サキノはそう語る。その人とは天栄村にある二岐温泉大丸あすなろ荘のご主人、佐藤好億さん(80歳)だった。会の創立の会員の一人で、自ら入会を勧めるために奔走しておられたのだ。佐藤さんは当時の様子をこう語る。
「オヤジさんは非常に単純明快かつ忌憚のない言い方で、まだ30そこそこの若造に真っ直ぐ向き合ってくれた。何でオレのとこに来たんだ?秘湯とは?朝日新聞の会なのか?ウチが入ったらまわりはどうなる?…話してたらこの人は、この只見川地域をどう残していくのか、子供たちが住めるような所にする為にはどうしたらいいのか、そんなことを一生懸命考えてる人なんだなぁと思ったよ。あちこち入会のお願いに回ってる中には、地域をさげすむようなことを言う人、秘湯なんて辺鄙で古臭いって言うようなものと、けんもほろろに追い返す人、色々いたんだよね。そんな中でオヤジさんは珍しく批判精神を振り上げずに、その地域を大切にする人だったよ。そして何より、ひと山越えたところの宿の人たちとの仲間づくりを強く願ってる人だった」と。
 佐藤さんの話から見えた紀由の顔は、いつもサキノから小言を言われ叱られている顔とは全く違うものだった。こんな一面があったとは…。こうして紀由はその場で入会を快く引き受ける。この会への入会はサキノたちにとって大きな意識改革となる出来事だった。

「水害に遭って無我夢中でやってはきたが、有名な観光地もねぇ、有名な温泉地でもねぇとこで、これから大丈夫だべかって内心考えてた頃だった。それがこの会の人たちは似たような環境で似たような悩み抱えてるらしい。やっぱよその世間知ってみるって大事って思ったなぁ。お父さんも秘湯の会の集まりだけは、何さておいても行ってた。会長(間もなく会長になられた佐藤さん)のこと信じて、ウチで何か大きなことやる時は会長に相談してたもな」
 そうサキノが語るように、紀由はひと山越えたところにも、かけがえのない仲間を得た喜びを感じていたようだ。そして、自分より十歳近くも下の佐藤さんという、絶大な信頼を寄せる相談相手まで得たのだった。

「時代が変わって、ウチが秘湯の会に入った頃とは交通事情も違ってっぺ。ウチの宿のことも、こぉだ国道沿いにあって秘湯の宿とは言えねぇなんて言う人もあんだど。そぉだこと言われたって、おらひとっつも困んねぇ。おらはこの会の言葉“秘湯は人なり”って言葉、最初から信じてっからな!」
 サキノは強く言い放つ。そして最後に一言。
「あぁだ呑気なお父さんでも、秘湯の会に入ってその大事な考えに触れさせてくれたことは、ありがたいことだったな」
 小声でつぶやくのだった。サキノはきっと、生前の本人には言っていないに違いない。