渡辺 紀子(わたなべのりこ)
昭和44年に起きた水害の爪痕は、様々なところに現れていた。橋が壊れるといった被害も、サキノの家の前だけではなかった。隣の昭和村との境の橋もそうだった。その橋の工事の人たちがサキノの旅館に泊まることとなった。
「何だかおっかねぇ人たち来て、やんだなぁ~と思ったっけ」。
サキノがそう語る。工事は部門ごとに数社入り、それぞれに監督さん、職人さんたちがいた。その数社の人たちが寄り集まって泊まっていたという。
雪が降る少し前の秋も深まった頃、事件が起こった。悪天が続き現場に出られない人たちが、旅館で数日を過ごしていた。何もない田舎で大の大人が日がな一日過ごすとなれば、酒でも飲んで過ごすしかない。酒も入ったことから、些細ないざこざが次第に大騒ぎとなり、ついに荒くれ者の職人の一人が台所から包丁を持ち出したという。それを振り上げながら、元請けの現場監督を追いかけ始めたのだ。その時、工事に関わり宿泊していた方が、梶野道人さん(75歳・大阪在住)という方だった。
「あん時は大変だったんや。あれはウチの会社とは違う会社の職人さんで、包丁振り回してるから止めるに止められない。そしたら、追われた監督さんはついに窓から飛び降りたんや。3階の窓から落ちたところに、風呂場の天井に当たる平らなコンクリートがあったやろ、あそこにな。監督が急にいなくなったもんだから、今度は僕のとこに迫って来た。怖くて怖くてそのまま外に飛び出して逃げたんや」。
その修羅場がどう収まったものか、サキノも近くにはいなかったらしい。
「しばらくしてからだった。サキノ姉が靴を持って迎えに来てくれたんや」。
そんな騒動により現場監督は大怪我をしてしまう。そのごたごた等で工事が遅れ、予期せぬ冬場の工事に突入となってしまったのだった。そして急遽新しい現場監督に交代となる。その監督が、当時弱冠22歳の山田賢二さん(76歳・北海道在住)だった。
「あれはクリスマスイブの日だった。大雪の只見線を降り、迎えに来てくれたぼっこれダットサンに乗り旅館に着いたんだ。着くとすぐに“まんま、まだだべ?”って言われ、お雑煮を出してくれた。そしてまず現場見に行くのに、ダットサン好きに使えって。帰るとたちまち、“まぁ飲め飲め”って始まった。あれよあれよという間に自分で歌なんか歌い出してた。初めて来たとこなのに、何だか不思議な感じだったなぁ」。
そんな初対面から一夜明けた朝のこと、山田さんは、けたたましい声で起こされる。
「冬に車のサイドブレーキ引いておくなんて、バカでねぇか!こぉだことも分かんねぇでは、ここで一丁前の仕事なんて出来ねぇかんな!」。
昨夜の歓迎ムードから一変、紀由の雷が落とされたのだった。とはいえ、この若い二人を交えた夜の酒盛りは、ほぼ毎夜続けられていたという。山田さんは
「旅館に来て数日後のお正月には、近所の人のとこに連れて行かれて一緒に飲んでたよ。あちこち連れて行ってくれるから知り合いも増えたし、何だか仕事に来てるんだか分からないくらいだった。まぁサキノ姉、きーあんつぁには毎日怒られてばっかりだったけど、でも、楽しくてたまらなかったなぁ」と。
「配達終わんねぇと飲めねぇからな」。
紀由に言われつつ、二人はいつの間にか配達も手伝い始める。
「あっちこっち連れてってんべ。どこどこさ配達だぞって言っても、すぐどこか分かんのや。配達やってもらうには困んねぇわな」。
サキノが呆れて呟く。確かにお二人の会話に出て来る村の人の名前は多く、そこまで知ってるの?と驚かされる。
梶野さん曰く
「仕事から夕方帰ると、まず配達をよくやってたよ。きーあんつぁが当てにして待ってるからな。ははは」。
配達が終わると、恒例の家族との宴が始まる。当時のつまみは、でん六豆とつまみベーコンこれしか無かったという。紀由の店からつまみを持って来るのだが、その時も
「ちゃんと帳面に書いて持ってくんだぞ!」と、サキノから一言小言が入る。
茶の間でひとしきりやった後に、みんなで風呂場に移動しての二次会となることも多々あったという。勿論サキノも一緒だ。文字通り裸の付き合い。そこに近所のおじさん、おばさんたちが入ることも珍しくなかった。
「ここらは子めらの頃から混浴で育ってるも、恥ずかしいなんて、ひとっつもねぇ!」。
サキノがそうだから、よそから来たお二人もすぐに気兼ねなくいられたのだろう。工事の人で貸し切りの日々は、お風呂に盆を浮かべまるで小原庄助さんのようなひとときも過ごしていたようだ。
刃物事件の緊張感は、自然と柔らかな雰囲気に変わっていったのかもしれない。その後、大きな争いは起きなかったという。
真冬の橋の工事は、練炭を橋の上と下に50個づつも使い、コンクリートをずっと温めながらの難工事だった。コンクリートが凍結すると、ひびが入ったり、強度が落ちてしまうからだ。工期は伸ばせなかった。厳しい条件下で、完璧に仕上げるのは本当に困難だったはずだ。それなのに、サキノが言う決まり文句がある。
「この人はな、つなぎ(地名)のあのデコボコの橋こしゃった人や」と。
「はい、あのぼっこれ橋造った、山田です」。
山田さん、決まって笑いながらそう答えてくれる。よくぞこんな口の悪い、人使いの荒い夫婦に耐えて滞在して下さったものだ。
この工事が完了したのは春先だったという。数カ月のご縁が、50年以上経った今も続いている。電話口ではいまだに姉御気取りで話すサキノがいる。