鈴木 サナエ(すずきさなえ)
<スプリングエフエメラル>
今年の冬の只見は積雪3メートルを超えた。特別豪雪地帯にあって、豪雪には慣れているつもりでも、さすがに3メートルを超えると、あくる日が不安になってくる。立春を過ぎ、雨水も過ぎて、一日ごとに日脚は伸びているのにと、ブツブツ言いながら、日に何度も、携帯電話の天気予報ばかりを確かめる。三寒四温の言葉も今年はどこか空ろに聞こえる。
去年は3月7日に福寿草の花が、近所の門柱の脇に咲いていた。春になると、大きな樹の葉っぱが芽吹く前に、小さな花々が、柔らかく暖かな太陽の光をいっぱいに浴びて、いち早く花を咲かせ、夏には葉を枯らせて眠りにつき、春の準備に入ってしまう。このような花を、スプリングエフェメラルという。直訳すると<春の儚い命>という意味になり、<春植物>とも言い、また、<春の妖精>とも呼ばれて、今人気を集めている。どこにでも咲く花ながら、雪深い只見においては、雪消えとほとんど同時に咲き、人も花も短い春の喜びを謳歌する。今年のスプリングエフェメラルは、いったいいつになったら咲くのだろうか?いつになく待たれるこれらの花々を紹介したい。
<キクザキイチゲ・アズマイチゲ>



私にとっての春一番のスプリングエフェメラルはキクザキイチゲとアズマイチゲだった。母はこの花を「コデノハナ」と言っていたが、子供の頃、雪が消えたばかりの色彩のない草むらの中に、白、薄紫、時には濃い紫のコデノハナを見つけた時の喜びは、例えようもなく、今もしっかり胸の中に在る。
キクザキイチゲは文字通り、葉が菊の花の葉っぱのように切れ込みが深く、アズマイチゲの葉は丸っこいのだが、子供にはそんなことはどうでもよくて、とにかく、春一番に咲き、一本の茎に一つだけ、あぶなげに花をつけたコデノハナを見つけた時は、小踊りする程嬉しく、またいとおしいものだった。
<フクジュソウ>


どなたもご存知、おめでたい名前の福寿草は、スプリングエフェメラルの代表選手だ。もう30年以上も前になってしまったが、春まだ浅い季節、仕事関係の人に、これから始まる山奥の工事地点へ連れて行ってもらった。その地点まで続く、奥深い林道の両脇には、上も下も、陽をあびて、キラキラと黄金色に輝く福寿草の群落がどこまでも続いていた。それはそれは、狂喜したくなるほど見事な群落だった。数年して工事が終わった後、福寿草は次々と盗掘にあい、随分と減ってしまっていると聞いた。でも、毒を含む福寿草だから、きっとうまく生き延び、時間をかけて再生していてくれているに違いない。彼らは儚くみえて、かなりしぶとい奴らなのだ。
<カタクリ>

カタクリも福寿草と並んで、スプリングエフェメラルの代表選手だ。紫の反り返った特徴的な花は、一度見たら忘れられず、しばしば大群落をつくり、人気を集めている。新潟の山で白い花を見たこともあるが、数は少ない。カタクリの種は蟻に運んでもらって生育地を広げるらしいのだが、発芽して1枚の葉をつけ、2枚の葉になって花が咲くまでに、7~8年かかるというから、気の長い植物だ。葉が1枚の様子からだろう、母はカタクリを「カタバ」と言っていた。今はこの花で片栗粉の原料になる根を採る人などいないだろうが、地下で眠る時間も長いから、思いの外、片栗粉も多く採れたのかもしれない。
私は、早春、今はもう誰も行く人もいない傾斜地の広いコゴミ生育地に行く途中、カタクリの群生地がいたる所にあるから、カタクリの葉っぱを少しだけ失敬してくる。紫の斑点の入ったカタクリの葉は、茹でると綺麗な緑一色で、少しぬめりがあり、甘くて美味しい。
<キバナノアマナ>

キバナノアマナは他のスプリングエフェメラルに比べると、花は小さく、1本の茎に数個の花をつけ、群落は作らない。花もスマートだが、葉っぱもすっくと根元から伸び、すっきりと美しい。観察会の時などで、カタクリの群落の中に黄色に点在しているのをよく見かけたが、あまり目立つこともなく、ひっそりと咲いている。だからこそ、いつも通っていた、国道脇の山裾の草むらの中に偶然見つけた時は、嬉しかった。その場所は狭いながらも、キバナノアマナが終わってから、サイハイラン等も咲き、私の「秘密の花園」の一つになっている。
<ショウジョウバカマ>

スプリングエフェメラルとして例外的なこの花は秋になっても葉を枯らすことはない。花にとっては絶壁と言えるような傾斜の沢筋で、雪解けと同時に花が咲くのをよく見かけたが、私の家の池の渕にも咲いている。水分が豊富でないと生きていけないのだろう。ロゼット状の葉っぱの中から、花が頭を持ち上げ、少しづつ茎を伸ばしてピンクの花が咲いてくる。房状に咲き始めると、雄蕊が出てくるのだが、その先端部分に黒っぽい紫の葯と言われる部分がある。この特徴的な黒い葯を胡麻に見立てての名前なのだろう、母はショウジョウバカマを「ゴマシオバナ」と言っていた。このほうが特徴をよく捉え、分かり易く、また覚えやすい気がする。
<エンレイソウ>

エンレイソウはワラビ折りに山へ入った時など、雪が消えたばかりの小さな窪地などでよく見られた。大きめの形のいい3枚の葉っぱの中心に、茶色に近いような濃い紫の花を一つだけ咲かせる。エンレイソウも種から花を咲かせるまでに10年もかかるのだそうだ。私はこの花を知った時、頭の中で漢字変換された文字は「艶麗草」だった。大きくて艶やかな葉っぱに守られた小さな花のイメージが、「艶麗草」となったのだが、正しくは「延齢草」である。根っこが漢方の胃腸薬になり、文字通り、命を延ばす、というのが名前の由来の一つらしいが、毒もあるというから、気を付けなければいけない。只見ではこの実を「サースッパゴ」と言って食べていたというが、私はまだ食べたことがない。酸っぱくて美味しいらしいので、食べてみることを今年の山歩きの一つの課題にすることにする。
只見には自生していないから、私は今だ見たことがない「セツブンソウ」を始め、「スプリングエフェメラル」と言われる春植物は、最近、特に山仲間では大流行である。スプリングエフェメラルとは素敵な言葉なのだが、私には、雪が消えて、身体中に感じた春の喜びを表現するには、なんとなく意に添わず、物足りない気がする。
私にとっての春はまず、フキノトウ、マンサク、ゴマシオバナ、コデノハナであった。フキノトウは花とは言えないし、フキとなって夏でも枯れないからスプリングエフェメラルではない。マンサクは木なので儚いとは言えない。ゴマシオバナは茎を大きく伸ばし、秋になっても葉っぱは分厚く残っているが、例外的にスプリングエフェメラルの仲間に入っているという。そして、春早く出現して、「春の妖精」と呼ばれる蝶のギフチョウもスプリングエフェメラルなのだという。
こうなると、私にはスプリングエフェメラルとは何が基準なのか全くわからない。そうなのだ、只見の強烈な春は、「儚いもの」として括らない方がいい。なんといっても、何もかもいっぺんに咲きだし、ワクワクする春を体現するには、スプリングエフェメラルなんて特別扱いにしない方がいい、と書きながら感じてしまった。
※写真提供は太田祥作さん