冬はきびしく、あたたかい | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

冬はきびしく、あたたかい

2025.02.15

菅家 洋子(かんけようこ)

 いやぁ、降った降った、降りました。まとまった雪には慣れている奥会津の人も、降り続ける雪に、「もう疲れた…」と弱音を吐くほど。いつもはあまり雪の心配のない会津若松市など会津盆地も、大雪になった。住宅街や街なかの雪を片付けきれず、降雪の峠を過ぎてからも道路は渋滞や立ち往生で大変な状況になっている。来週、再び寒波がやってくるという予報。ここにまた多量の雪が積み重なってしまったらどうなるのか、ちょっと考えたくない。
 山の神さまのお宮も、これまで見たことのないほどの積雪になった。

 軒と地面がほとんど同じ高さになっていて、屋根に上がってももう怖さはない。蔵、大型ハウス、事務所、トラクター小屋など、農家である我が家にはいくつも建物があって、それらの屋根に上がりせっせと雪を下ろした。みんな雪かきに追われているだろうなと思いながら、誰もケガしませんようにと祈っていた。このあたりで、雪はだんだん終わりだといいなと思う。

 わが家のお年寄りチーム、義父セイイチさん、義母ミヨコさんに雪の話を聞いた。
 セイイチさんが出稼ぎに行って留守の間、家には体の弱い舅じいさま、でっかい婆と姑ばあさまとコメラ(子どもたち)しかおらず、雪の始末は大変だった。ある日、コメラも一緒に草屋根(茅葺)に上がって雪下ろしをしていた。片面を下ろして反対側に来てみたら、雪下ろししていると思っていたコメラは、屋根の上にカマクラを作って遊んでいた。
 話をしながら、ワッハッハと笑うミヨコさん。屋根の上にカマクラを作るコメラもかわいいし、思い出して楽しそうに笑うミヨコさんもやさしい。ちなみにそのコメラである夫ヒロアキさんは、カマクラのことは覚えていないとのこと。近所の人に頼んで雪の片付けを手伝ってもらったりもしたけれど、もうどうしようもなくて、出稼ぎ先に便りを出し、セイイチさんに戻ってきてもらったこともあったそう。
 草屋根だったころ、玄関の前には二間(約4m)ほどの雪よけがあった。細木を組んでボーガヤ(ススキ)を被せた「カゼエラ」。この「カゼエラ」という言葉を、私は初めて聞いた。知らなかった新しい言葉に出会えたときは、うれしさとワクワクが混ざったような気持ちになる。そして、その人の記憶の中にある大切なものを、知らないままにしない済んだことへの安堵も含めた、「よかった」という気持ち。
 セイイチさんがその「カゼエラ」を絵に描いてくれて、玄関の戸を描き、「ここは紙」と。家の戸はすべて、障子戸だった。あとでヒロアキさんに聞くと、子どものころは朝起きたら顔の横に雪が積もっていたこともある、と。想像を絶する極寒。

 朝、ミチフミ(カンジキなどを履いて雪の上を踏んで歩き、道をつくる)のあと、家の周りを歩いて、障子紙についた雪をほうきで払った。陽が出て雪が溶けると、紙がダメになってしまうので、そうなる前に。
 思い浮かべてみる光景は自分のものではないのに、どうしてか、あたたかく心に触れる。となりで当時を思い返す人が、その記憶を大切に、いとおしく思う心が伝わってくるからかな、と思う。いつかの冬が、この冬をあたためる。この冬もきっと、いつかの冬を。