【きかんぼサキ第2部】高松宮様ご宿泊 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】高松宮様ご宿泊

2025.02.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 “出稼ぎ”という生業がごく当たり前にあった時代がある。ここ金山町でも家長が出稼ぎを余儀なくされる家は少なくなかった。それは、豪雪の冬に働き口を求めて、遠方に仕事を求めることがほとんどで、小栗山という集落も出稼ぎに出る人が多いところだった。そんな小栗山に雪下正兵さんという方がいた。この方はかつて村長も務め、“この村から出稼ぎを無くす”という強い信念を持つ方だったという。
 役場職員だった長谷川義助さん(82歳)が、こんな話を教えて下さった。
「あれは春先のかた雪の頃だった。正兵さんが“写真撮りに山さ行くべ”って、急にオレのとこさ来ただ。どこさ行くだべ?と思ったら、小栗山登った山の斜面のとこだった。そこは、オレらスキークラブがたまに滑ってるとこで、とにかく言われるまま、その景色を撮ってみた。あとで分かったんだが、オレが簡単なカメラで撮った白黒写真持って、正兵さん、東京の会社を営業して回ってたんだど。ここさスキー場造れねぇべかってな。それで大日本紙器って段ボールの会社がやるように決まった。まさか、オレみてぇな素人撮った写真で決まっとは思わなかったよなぁ」と。
 長谷川さんが役場に入った昭和38年には、すでに金山スキークラブというものがあったという。役場の先輩が発起人で、役場職員や教員、そこに東北電力の変電所の人など、スキー好きな人たちの集まりだった。そのメンバーがスキースポーツを活発にしたのだろう。川口上野(かわぐちうわの)と言われてる所にスキー板を担ぎ、雪を踏みながら登り、小屋を建てストーブを仕付ける。そこで皆が滑って楽しむだけでなく、小さな大会なども行っていたという。
 スキー場誘致の動きの頃、一方では町にあった鉱山が閉山するという話もあった。そんなことも、町に新しい産業を望む機運になっていたのかもしれない。更に、スキー場として可能な土地があり、スキー活動をしている人たちがいる。正兵さんの営業は熱いものだったに違いない。
 そうして、昭和48年12月、『奥只見国際スキー場』(現在のフェアリーランドかねやま)がオープンとなる。スキー場開設の決定で地元小栗山では民宿開業の機運が高まり、最盛期には20軒近くの家が民宿を始めることとなった。スキー場での雇用もあり、新たな『自然教育村』という施策から、横浜からの学生が冬だけでなく民宿に宿泊するようになった。そうして小栗山から出稼ぎは無くなったという。

 スキー場の開設で湧く賑わいも感じながら、サキノ夫婦は水害後の新館の建設やその後の営業と目まぐるしい日々だった。
 そんなある日、正兵さんから思いもよらない依頼が舞い込んでくる。それはサキノたちの旅館に高松宮様を泊めて欲しいとの依頼だった。
「そぉだ雲の上のような人泊めるなんて務まるはずねぇ。申し訳ねぇが他あたってくんつぇ」
 紀由の答えに、正兵さんは全く動じることなく
「こぉだ名誉なことはやってみることだ。ここしかねぇ。頑張ってやってみろ!」と。
 受けざるを得なかった。
「さたぁねぇ(とんでもない)ことになったなぁ。なじょすんべ(どうしよう)」
 紀由がつぶやくものの、サキノは
「はぁ決めた以上精一杯やるしかねぇべ」と。
 しかし、大きな出費を伴うことでもあった。新館にはバス・トイレ付きの部屋は無く、宮様のお部屋にはバス・トイレを新設しなければならなかったのだ。リフォームと同時に、保健所との入念なやり取りも繰り返された。調理場の検査、献立の確認、そして試食、検査…。また、警察、町、県の方との打ち合わせ。慌ただしい日々を経ての当日だった。
 昭和49年3月、高松宮様は、スキー場で楽しまれてからのご到着。ご滞在の間、何とか無事努め上げることが出来て、心から安堵したサキノたちだった。料理のおかわりと大浴場への入浴をご所望されたものの、保健所の許可が出ずご希望を叶えることは出来なかったという。

 
 なぜ、こんな田舎町に宮様が?これも正兵さんの力だった。元々、宮様と正兵さんがご戦友で親しい間柄、宮様がスキーを愛された方ということからスキー場開設の機にご来臨をお願いされたのだという。
「正兵さんのこと、ホラ吹きのように語る人もいたが、オラはここらには、やたらにいねぇ大した人だなぁって見てたぞ」
 サキノは思い出しながら、そう語る。

 実は高松宮様は、その後もう一度プライベートでお越し下さった。その時は正兵さん含め数人の方でのご宿泊だった。少数の警察や保健所の待機はあったものの、以前のように臨席なさる方も無く、囲炉裏を囲み和やかな会食だったという。会食の途中、お付きの方が
「宮様が今ほど頂いた“しおで”という山菜をお気に召され、もう少し頂きたいと申されております」と。
 また保健所の方の了解は得られなかった。しかし、少し後にお付きの方が、今度はそっとサキノの耳元で
「宮様は他でも追加なさることがありました。ご心配なさらずどうかお出し頂きたい」と。
 そうしてサキノは、こっそり山盛りの“しおで”をお届けしたという

「“しおで”は山菜の王様って言われてっぺ。宮様もあのうまさが分かんだなぁ。宮様だってオレらと変わんねぇとこもあんだって思ったもんだっけ。大変なこともあったが、あぁだ人を泊めるなんて願ったって出来ることでねぇ。大した経験させてもらえたなぁって、うんと感謝してんだ」。
 正兵さんのお孫さんに当たる雪下正仁さん(66歳)に伺った。
「祖父には色んな逸話があって、外国でも行くつもりだったのか、パスポート持って自転車で東京に向かったなんて話もあった。とにかく、一年の半分は東京行って、何かここに金を引っ張って来るようなことしてた人だった。家では物静か、でも肝が据わった人だったなぁ」。
 サキノたちは、雪下正兵さんという、まるで愛郷の志士のような人から、“一世一代の名誉ある経験”というかけがえのない贈り物を頂いたようだ。