章一の只見言葉 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

章一の只見言葉

2025.01.01

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

<門除け>
 12月5日、今年2度目の雪となった。水分の多いみぞれ雪だったので、たかをくくって消雪の水を出さないでおいたら、朝方、道路を今年初めて除雪車が通り、玄関先には、30センチ近い雪が積もっていた。慌てて、消雪の水を出し、側溝のふたを開け、スノーダンプで雪を押し入れた。この、玄関から道路までの除雪作業を、夫の章一は「門除け(カドノケ)」と言っていた。門除けの門は門松や門出の門だから、方言ではないのだけれど、雪国の地方独特の言葉なのだろう。今ではもうこんな言葉を使う人はめったにいなくなってしまって、単に雪除け、とか除雪と言っている。
 章一が単身赴任で家を留守にしていて、舅が長く入院した冬、まだ退職したばかりで若かった実家の父は、雪が降った日は毎日我が家に来て「門除け」をやってくれた。当時は消雪の設備もなかったから、家の中のことをやって、会社勤めをしながらの門除けは結構大変な作業だった。そんな私を見かねて、父はさっさと雪を片づけて、帰って行った。あの年は、裏にある蔵の屋根まで何度も雪がくっつくような大雪だった。
 そしてまた、その父が老いてからは、章一は毎日私の実家に行って、門除けをし、父の顔を見て、家の周りも確認して、雪除けしているようだった。

 年の瀬が近くなった朝、積雪は70センチを超えた。これからが雪と格闘の本番だ。二人がいなくなった今になって、私はやっと、章一と父に「有難う」と言っている。

<へきはった>
 若い頃の章一は体格もよく、太っていたから、よく肩を凝らし、「へきはった」と言っていた。そんなときは、随分と古い言い方をする人だと思いながら、嫌々、肩もみをしていた。パンパンに凝った肩を叩いたり、肘を使ったりしても、揉みほぐすのは容易でなかった。病気になって痩せてからは、肩を凝らすこともなくなって、いつの間にか「へきはった」の言葉も我が家から消えてしまった。「肩癖」という聞きなれない言葉を知って、「へきはった」の言葉がそこから来ているのを知ったのは、ずっと後からだった。
 章一は「肩癖」と言う言葉を知っていて使っていたのだろうか?

<こでらんにぇ>
 甘いもが大好きの章一は、真冬によく作る透明の煎じた飴湯を飲みながら、ニコニコと至福の顔で「こでらんにぇなあ」と言っていた。堪らなく良い、と言った場合に使うのだが、並ぶものがない、これ以上のものはない、と言った意味合いもあるような気がする。 
 好きな寿司などは出かけるたびによく食べていたが、そんな時は「こでらんにぇ~」とは言わなかったので、やはりとても珍しく、貴重なものに出会った時の言葉なのだろう。語源は「たとえようもない」と云うことかな、と思っていたら「答えようもない」ではないか、と言う人もいた。たいていの方言には語源らしいのがあるのだが、この言葉には語源を見つけることができないでいる。

<ばんじょさん>
 20数年前、我が家は大改築を試みた。章一は勿論、設計書などは見ているものの、まだ単身赴任をしていたから、細かいことにはあまり口出しできないでいた。そんな章一が、珍しく、建築途上の一服の時間に、何やら親方と真剣に話し込んでいた。親方が章一の要望を聞いて、建具屋さんに頼み、出来上がったのが、江戸時代を思わせるような黒い鋲を打った2枚の板戸だった。
 家を建築する大工さんを、章一も私もバンジョと言っていたが、これは「番匠」という中世からの言葉らしい。〇〇バンジョと名前を冠することもあった。この地方では家を建てる時、巻物を伝授されて建前を執り行うことのできる大工さんを番匠と言っている。そのためか、いくら建築士の免許を持ち、立派な工務店の親方でも、よそから来て巻物を持っていない大工さんに、番匠とは言っていなかったようだ。それでも、章一はそんなことにはおかまいなしに、親方を「番匠さん」と呼んでいた。
 我が家も何度か改築し、その度に別の番匠さんにもお世話になった。娘が小学生の頃、台所を改築してくださっている番匠さんから、夕方帰る時間になっても、娘が学校から帰ってこないと、心配して会社勤めの私へ電話がかかって来たこともあった。プライベートなことまで気にかけて下さる、いい番匠さんは、それぞれに、誇り高く、頑固で優しく、芸がこまやかだった。

 夫の章一は戦中生まれ、私は戦後に生まれた。章一は高校も大学も他所で生活していたし、単身で町場の生活も長かったが、終生、訛り言葉は変わらなかった。私は年寄りのいない家に育ったこともあって、古い言葉を耳にしてはいても、自分ではあまり使えないで過ごしてきている。思い起すと、章一の訛りの強い、朴訥とした古い只見言葉が、今になって妙に懐かしい。