井口 恵(いぐちめぐみ)
舩木久美子さん(昭和25年生 柳津町)
『オシンメイサマ』
男女夫婦の遊行神で、村々、家々を遊ばせて貰って歩く。
巫女が両手で一体ずつ持ち、呪文を唱えながらその人の苦悩のところを軽く叩いて遊ばせると、患部が治ると信じられて一時流行した。
大正初期まで続いていた信仰で、今では知っている人も少ない。
(昭和52年刊行 柳津町誌(総説編) 第3章民俗(年中行事・民間信仰)参照、要約)
より
舩木久美子さんは、オシンメイサマの記憶を懐かしそうに語ってくれた。
「おばあさんが、二体のオシンメイサマを両手に持って、『やーれ ほーれ ほーれ やーれ…』って唱えながら、頭の上で振っていたのよ。近所の子供たち(男女)を集めて甘酒やお菓子、みかんとかご馳走してくれたのを、かすかに覚えてるの。お話したり、たまに喧嘩なんかもしたりして」
その光景がなんとなく記憶にあるくらいで、久美子さんは、いつからやっていたのかも、なぜやるのかもわからない。
ただ、おばあさんがオシンメイサマを大切にしていたことだけは、強く印象に残っているという。
山仕事に行っていた久美子さんの母親はそこにはいなかったため、このオシンメイサマの存在や儀式について全く知らない。
旧暦の10月18日、久美子さんのお宅でお祀りされていたオシンメイサマを見せていただいた。
おばあさんが亡くなってからは、存在すら忘れていたという。
それから40~50年経った頃、ずっと神棚に上げられていた木箱がふと目に留まり、開けてみると三枚のお札と共に眠っていたオシンメイサマを見つけた。
長襦袢や猿袴の端切れのような重ね着をした布きれは黒ずみ、ボロボロに朽ちてしまっていた。
「それ見た時、あぁそうだ、小さい頃おばあさんがやってたなぁって思い出したのよ」
置いておくままにもできず、記憶を辿りながら久美子さんが引き継ぐこととなった。
最近は会津木綿に凝っていて、布を選ぶのも久美子さんの楽しみのひとつで、毎年二枚ずつ細く切った布切れを付け加えている。
今年、オシンメイサマを入れていた木箱を新しいものに作り直した。
「おばあさんがオシンメイサマを足の間に挟んで、ぴょーんぴょーんって、人間業ではないみたいに飛び跳ねたらしいのを、お母さんが見ちゃったらしいのよ」
なんだか少し秘め事のように、久美子さんが教えてくれた。
…遊ばせて、あげていたのだろうか。
久美子さんは長らく母親と共に飲食店を営業し、たくさんの時間をお客さんとの交流に勤しんできた。
「いいお客さんに恵まれて、信頼できる人が多かったから、お店も気楽にできたのよね」
今も積極的に地域のサークル活動に参加する。
地域にも、仕事にも、出会う人にも恵まれて、充実した毎日を送ることができるのは、オシンメイサマのおかげがあるのかもしれない。
今は誰を呼ぶわけでも、誰かに見せるわけでもない。
久美子さんが毎年この日にだけ、ひっそり静かに箱から出して、お祀りする。
オシンメイサマのおかげで、こうして私は久美子さんと出逢え、お話を聞くことができた。
素敵なご縁を繋げてくれたことに、ありがとうございます。