【きかんぼサキ第2部】一騎打ち | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】一騎打ち

2024.10.01

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

「乙松だと寄りたくねぇが、紀由だと寄ってみたくなるなぁ」。
 サキノの義妹は、村の人たちのこんな呟きを聞くことがあったという。乙松じぃは向きのない(愛想の良くない)人だったのに対し、サキノの夫・紀由はそこそこ愛想の良い人だったからだという。例えば、村の人が夕方もっきりでも飲もうと店に寄ったとする。乙松じぃが店番だと決まって「さっさと飲んで帰れよ!」と言われてしまう。これが紀由だと「ほらほら、まっと(もっと)飲まっしぇ」と、気持ちよく飲ませてくれる。呑んべぇな紀由のこと、こんな言葉は自然に出てしまうのだ。そんな様子に村の人たちがそう言っていたのだろう、と義妹は語る。果たして勘定などちゃんと貰っていたものか、どんぶり勘定だったに違いない。
 当時はその都度精算の他に、ひと月とか半年とかまとめて支払うようなツケ払いがとても多かったようだ。多分お人好しの紀由は、頼まれると決まった締め日も平気で延ばしていたのではないだろうか。自分たちの支払いが時折思うようにいかない状況が起きるのも、こんな事情もあったのだろう。

 当時、お客様と言えば地元か近隣の村の人たちだった。しかし、その他にあちこちの工事現場に働きに来ている人も多かったという。村のどこかの家に間借りしている人。簡単な小屋のようなものを建て、そこに暮らしている人。いずれも、流れ者のような人たちが、工事が終わるまでの間あちこちに滞在していた。そんな人たちはツケ払いで買うことがほとんどだったようだ。
 月末の支払いが近づいていたある日のこと、用がありサキノが店に行くと、買い物に来たお客様と居合わせた。仕事での滞在か、見慣れぬ人だった。紀由は何だか店の中をウロウロと落ち着かない様子。サキノは自分の用をしていると、そのお客様は何やらあれこれ買うものを見ているようだった。すると、その人が突然
「今日もまたツケで頼めるよな。そのうち払うから」。
 にやけながら言い放ったという。よくよく見ると、紀由の落ち着きのなさに合点がいった。怖がっているのだ。その人は、派手な刺青を背負った男性だった。
 サキノは手を休め、紀由を奥に呼びよせ尋ねた。
「あの人は今日支払いに来たんでねぇのかよ?」と。
「まぁ、後で払うって言ってっから、しようがねぇわ」。
「そんなわけいかねぇ。そんなことやってたら払わねぇままいなくなっちまうぞ!」
「そん時はそん時でしょうがねぇ。今日は騒がねぇで気持ち良く買ってって貰うべ」と。

 それを聞いたサキノが黙っているはずがない。いきなり、その男の元へ向かい
「今日は月末だから、帳面につけてある分、ちゃんと払って貰われっかよ。こっちだって月末には支払いあって、そうして貰わねぇと困んだ」と。
「なにぃ、俺が頼んでんのに払えだと…」。
「買ったものの銭払うのは当たり前だべ。おら何も間違ったことは言ってねぇ」。
「喧嘩売ってんのか!」
 怒鳴ったかと思うと、いきなり、玄関の戸を棒で叩き付けてしまったという。
この時、紀由は奥のカーテンの陰で震えていたようだ。
「サキ、はぁ、いいから…はぁ、やめろ…」
 蚊の鳴くような声がかすかに聞こえたようだが、姿を見せることはなかった。
 一方のサキノは、ダム建設の頃にこんな人たちを毎日見てきている。日々どこかしらで勃発している喧嘩が日常の光景だった。その環境に鍛えられたサキノは、この程度のことで恐怖心を感じることは全く無い。さて、男はどんどん興奮してくる。サキノが
「喧嘩なんか売ってねぇ。おらは銭だけ払ってくんつぇって言ってるだけだ」と答えたが、
「何様だ。そこまで言うなら分かった。お前の指詰めたらいくらでも払ってやる!」と。
 すると、サキノはゆっくりと両手の指を広げ、その手をレジのテーブルの上にドンと置いたという。
「なんぼでも好きにやらっしぇ。さぁ、どっちの手がいいよ?」
 冷静に語るサキノ。動揺は微塵も見せない。とにかく、この姑息に踏み倒そうとする行為だけは何とかしたかったのだ。少しの沈黙の後
「大した女だな」。
 そんな言葉を呟き、振りかざしたドスのようなものをバツ悪そうに収めていたようだったという。最後、男はツケの支払いのみを済まそうとしたが、
「玄関の分もちゃんと払ってくんつぇよ」。
 サキノは壊された分の支払いも頂いたそうだ。その男、去り際に一言
「また買いに来ていいか?」
 小さな声で尋ねてきたという。
「いいわい」。
 颯爽と答えたサキノは、すごすごと帰る後ろ姿を見送ったという。

 男が見えなくなった途端、紀由がやっと登場する。
「にしゃ(お前)たいしたもんだなぁ~。したが、あの人また来んのか?仕返しされねぇべか」。
「はぁ、さすけねぇ(大丈夫だ)!」
 こうして紀由は、無事怪我もなく済んだ上に支払い問題も改善されたことで大喜びだったという。けた外れの呑気さだ。
 しかしながら、あの時一歩間違えば、私の母・サキノはどこかの指が無い手になっていたのだろうか。今更ながら思う。くわばらくわばら。