井口 恵(いぐちめぐみ)
柳津町砂子原地区のみなさま
「センドモウシは、村と、神様と、自分たちのために、やってる」
旧暦9月の某日、柳津町砂子原地区で密やかに行われる行事がある。
「もうずっと、子供の頃から、この日はお宮さん詣でて、穢れを落とすんだ」
千度詣す、千度燃す…語源も起源も経緯も定かではないが、砂子原地区にとっては欠かせない、大切に守り伝えている行事だ。
「昔の人の話で、一度だけやらなかった年の翌春、大火で集落のほとんどの家が燃えちまったんだと。したから、なんでかんでやらなきゃなんねぇのよ」
昔から、ずっとずっと昔から、その一度を除いてやらなかったことはなかった。
なぜやるの?どうしてこの時期なの?どういう意味があるの?
私が質問をすると、聞く人、聞く人が当たり前のように、ただただ、「やらないといけないからやる」と、同じ答えをする。
なぜやるのか、なのではない。やらない理由が、ない。
砂子原地区のみんなに共通した、安寧と息災を願う特別な日なのだ。
「区長やってる時は、ちゃんと御神木が立つか心配で、前日から緊張で眠らんなかった」
8時半から始まった準備は、お昼休みを挟んで午後までかかった。
厄年の男性が御神木を提供し、みんなで山から伐り出してくる。
最近では山の管理が行き届かず、手ごろな太さ長さの杉が少なくなっていることもあり、今回も御神木迎えに苦労しているようだった。
「真ん中にでっかい杉の木立てんの。昔は氏子もたくさんいたから太~いの使ってたけど、今は立てられるやつな。一番大事な先端まできれいに芯が残ってる木が少ないのよ」
青空に向かって真っ直ぐと立つ御神木の周りを、雑木、稲藁、豆殻、荏胡麻殻、紫蘇殻、笹葉などで巻いていく。
「今は大人だけで立ててっけど、昔は柴集めはこめらの仕事だった。2週間くらいかけて放課後“キタダケ”に行って、中学生が鉈で柴切ってな。小学生はそれぞれが持てる分だけ縄に引っ掛けて引っ張ってきた。お宮が見えなくなるくらい、全部で108本の柴だ」
子供も、大人も、この日のために集落中で準備を進める大切な行事だったことが伺える。
女性陣に交じって、私も少しお手伝いに参加させていただいた。
作っていたのはたくさんの松明だ。
“松明ブチ”に使うため、オギ(麻殻)を一握りにまとめて稲藁で縛っていく。
オギの松明はセンドモウシには欠かせないアイテムだが、かつてはどの家でも繊維を採るために栽培していた大麻の芯も、最近は入手が難しくなっている。
夕飯を終え、とっぷりと日が暮れた19時過ぎ、地区の高台にある神社にぱらりぱらりと人が集まってきた。
「火付け役は、名誉だったな」
12歳の男の子が4人選ばれ、東西南北4か所に点火すると御神木に勢いよく火が昇る。
写真を撮ることに夢中になっていた私の後ろから、突然足元をバシッと松明でぶたれた。
熱い、危ない、と感じることは、ない。
「厄落としーーー。健康でーーーーー」
次から次に、メラメラと燃える松明を持った人が、楽しそうに、嬉しそうにバシバシとお互いの足元をぶち合う。
センドモウシは、こうして松明を打ち合うことから“松明ブチ”“松明ブッチャイ”とも言われている。
お護符の火で穢れを清め、無病息災と良い年を迎えられるように願って足元をぶつのだ。
あぁ。なんと厳かで神聖なのだろう。
満月から少し欠けた月がぽっかり浮かぶ暗闇の中、ぼわっと浮かぶ松明の火と、交わされる歓声に心が洗われるようだった。
「あれ、なんだかお顔がきれいですねぇ」
祭りの終盤、両手に炭を塗った小学生たちにニヤニヤと顔をのぞき込まれて、取り囲まれた。
丁重に遠慮しても、興奮した彼らは容赦ない。大胆に、豪快に、顔に炭を塗ったくられた。
「良さそうなことは何でもやるわい。移動も医者も限られてたから、病気になる前に、ならないための対策としてだ。美人になんぞ」
御神木が燃えた炭をいただき、体に塗って無病を願ったのだ。
砂子原地区のみんなの願いの分だけ、星の輝く澄み切った夜空に、今年も勢いよく火が昇る。