【きかんぼサキ第2部】夫のたくらみ | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】夫のたくらみ

2024.08.15

渡辺 紀子(わたなべのりこ)

 サキノは自動車学校通いに、仲人の悦子姉(95歳)を誘ってみることとした。一人より二人の方が楽しいはず、と思ったからだった。ところが、この思いつきでサキノはみっちりお叱りを受けることとなる。
「そぉだ誘い、とんでもねぇ!おら家は、サキのとこみてぇに商売やってる家でもねぇに、おなごで免許取って何の役に立つだ!なんぼ頼まれたって、免許取りなんてやらんにぇ」。
 クラクラと怒鳴ってきたのは、明治生まれの悦子姉の姑だった。確かに当時、女性ドライバーなどほとんどいない。そのお叱りはごく当たり前な反応だったのだろう。それを聞いたサキノは、「なら、一人で行くか」とあっさり行動に移したという。
 それからかなり後になり、悦子姉は姑の医者の送迎など必要に迫られ免許を取りに行くこととなった。若い時と違い取得までかなり苦労したという。その様子を見ていた悦子姉の姑が、サキノにこっそり呟いた。
「サキが誘ってくれた時に、あんなこと言わねぇで取らせておけば良かったなぁって、今になってうんと思ってんのや」と。
 昭和42年に免許取得したサキノは、女性ドライバーの先駆けとなったのだった。(※1)

 さて、一方で夫の紀由は、サキノが取得するまでの間それまで通り無免許運転を続ける日々だった。ところが、サキノが晴れて免許取得となった途端、
「オレは福島(福島市)の和三郎さん(サキノの兄)のとこ行って取ってくっかと思うだ」
 と、いきなり切り出してきた。
「なんで、そおだ遠くに行って取んだよ?」
 と、サキノが尋ねる。
「和三郎さんは警察だも、様子はよーく分かんべ。早く取れんでねぇかと思って」。
 そんな答えだった。とは言っても、福島では到底通えない。
「和三郎さんのとこに泊めてもらうべ!独り身だも、さすけねぇべ」。
 兄の了解は驚くほどスムーズだったという。あっという間に、紀由はサキノが通った喜多方ではなく福島へ行くこととなる。
 颯爽と愛車ダットサンに乗り、弾むように出掛ける紀由。目指す先には警察官の義兄が待ち受け、そこから免許取得に取り掛かる手筈だ。無免許で向かう方も、事情を分かって待ち構える方も、どっちもどっちとしか言いようがない。

 紀由不在のまま一月程過ぎた頃だった。なかなか免許が取れず滞在費が足りなくなった、と紀由から電話が入ったという。
「なかなか難しいだべ。むぞうせぇから、早く銭届けに行ってやってくろ」。
 突然、サキノは言いつけられたが、どこか腑に落ちないままに、小さい娘(私)を背負い汽車で福島に向かったという。
 駅前のホテルで待つサキノの元に、やっと紀由が現れる。
「何でそおだに取れねぇだよ?」
 サキノは直前にスムーズに取ったばかりだ。訊かずにはいられない。当の紀由は、学科はいくつも取れているが実車が取れない、そんな話を必死に繰り返すばかりだった。
 紀由がやっと目的達成し帰宅したのは、それから半月も過ぎてからだったという。

 何年も経ってのことだ。サキノが兄と話していると、
「いやぁ紀由さんにはホント楽しませてもらって…」
 と、つい口を滑らせた。
「何のことだよ?」
「いやいや…まぁまぁ…」
 
 福島での滞在期間の間、紀由と兄は仲間と連れ立って三日と空けず穴原温泉で芸者遊びをしていたという。当時、マイカーを持っている人も少ない中で、紀由はマイカーまで持参。その車は大人気で、日中は乗りたい人が自由に乗り回していたようだ。また、お金もたんまり持ってきていた。滞在の間中、紀由はさぞもてはやされていたのだろう。気を良くした勢いで、臆することも無く追加補填までやってのけている。
 この二人、事前に打ち合わせ済みだったに違いない。そして、家にまず一人免許取得の人間を置いておけば、紀由は安心して心おきなく留守にできる。このたくらみを実行するためには、サキノに先に取って貰わなければならなかったのだ。紀由も本来ならすぐに取れていたのだろう。でも、この兄たちと一緒に浮かれまくる日々はなかなかやめられない。元々のお坊ちゃんがそうなることは、誰の目にも明らかだ。
「紀由さんはいい人だったよなぁ」。
 紀由の話題が出ると、必ず兄はそう言っていたという。二人の秘密はもっとあったのかもしれない。

 きかんぼゆえに、サキノは常に新たな場に送り込まれる。そして、何とかやってしまう。免許といえば、サキノは数年後に大型免許も取得する。旅館では後に、地元の人の宴会の際に送迎付きというサービスを始めた。そうしたサービスのはしりだった。それに伴い大型バスを購入したため、そのバス用の運転免許が必要だったのだ。その頃には会津坂下町の自動車学校も出来ていたのでそちらで取得したのだが、合格の際に、
「ここの女性大型ドライバーの第1号ですよ!」
 と告げられたそうだ。本人はこともなげにサラリと語るのだった。
 サキノの同級生の美枝子さん(82歳)が、かなり後に自動車学校に通い出した時のことだ。教官にどこから来たのか尋ねられ、金山町から来たと答えた際に、こう言われたのだという。
「金山って言えば、うんと面白いかぁちゃんが来てたんだ。大型免許取りに来た人なんだが、“オラが帰って運転すんのは、トラックでねぇ大型バスなだ。ここは大型バスも持ってやんだべ?オラには大型バスで練習させてくんつぇ!”なんて言ってきてな。あの面白いかぁちゃんが金山の人だったなぁ」と。
「あ~、これはサキの話だなぁって、すぐ分かったわい」。

 立ち止まる間もなく、サキノの前には次々挑戦のハードルが現れてくる。そのまっしぐらな姿は悲壮感を超え、不思議な明るささえ漂っている。紀由のたくらみが後に分かっても、そんなことで驚くようなサキノではなかった。

※1 喜多方自動車学校が設立されたのは昭和42年のことだ。当時は学校から送迎バス
   が川口まで来ていたので、サキノはそのバスで通っていたという。
   昭和47年頃になると、役場職員の免許取得の動きも盛んで、役場に送迎バスが来   
   ていたという。
   ちなみに、会津坂下の自動車学校が設立されたのは、昭和48年のことだ。