遥かな尾瀬 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

遥かな尾瀬

2024.08.01

鈴木 サナエ(すずきさなえ)
                                       

 今年は、尾瀬の山開き前の5月19日に、御池から沼山までのシャトルバスが運行されると聞いて、まだ訪れる人も少ないに違いなく、一足早く尾瀬沼まで行ってみることにした。「夏の思い出」という歌に「遥かな尾瀬」とあるけれど、奥会津に住んでいる私達にとっての尾瀬はすぐ身近にあるのは、本当に有難い。

 
         
 思い起こせば、昭和40年初め、二十歳の頃に初めて家族で、その頃、初めて買った車に乗り込み、沼山峠まで行き、ニッコウキスゲが咲き誇る大江湿原を抜け、尾瀬沼まで歩いた。40代の若い父と母、そして弟二人、全員、登山靴もはいていないし、普段着の軽装だった。それ以来、今まで何十回歩いたことだろう。そして、今では考えられないことだが、当時はまだ、尾瀬沼を運航していた遊覧船の痕跡が残っていて、尾瀬の保護運動がピークを迎えようとしていた。
 下の娘が小学校2年生になった時は、夏休みに東北最高峰の燧ケ岳に登った。当時はまだ登山道も荒れていたが、家族四人頑張って頂上に立った。漫画大好きの娘は、頂上から眼下の雲を見て「キントウンだ!お母さんあれに乗りたい!」と本気で叫んでいた。

      
 孫の男の子が5年生の時、その父親と三人で、燧ケ岳の御池コースから尾瀬ヶ原を抜け、山の鼻までのロングコースを歩いた。下山途中の急斜面では、振り返ってキラキラ光る「ヒカリゴケ」を見つけたと、私を喜ばせたが、尾瀬ヶ原の「オゼコウホネ」等には、残念なことに全く興味を示さなかった。
 地区の子供会行事でマイクロバスに乗って行った時は、よせばいいのに芋煮用の大鍋抱えて、周りの人たちからやっぱり顰蹙を買ってしまった。けれども赤ちゃんから80歳代のおばあちゃんも交えての尾瀬は、今でも時々話題にのぼる、思い出深い子供会となった。今は御池からシャトルバスが運行しているが、当時はまだ沼山まで私有車で行けた。
 夫の会社の「尾瀬の会」グループの人たちとは、今は廃道になってしまった温泉小屋から燧ケ岳に登り、ま新しい熊の爪痕を目にした。私が勤めていた会社の人たちとも、初雪が降った日を始め、コースを変え、季節を変え、何度も案内して多くの写真も残った。仕事で山に行くことはあっても、楽しさ知らずの彼らは、遊びでの山登りの楽しさに目覚めたようだった。
 至仏山は一時期、尾瀬ヶ原からのコースが登山道整備のため入山禁止だったので、群馬県側から登った。また、同じ群馬県側から、かつて大人気だった鳩待峠からアヤメ平を抜け、富士見峠のコースを歩いた時は、その荒廃ぶりを目の当たりにし、植生の復元の努力を垣間見た。正に尾瀬沼ダム計画の反対運動とともに、「自然保護」の原点がここにもあった。
 かつての沼田街道、七入から沼山峠まで歩いたが、人っ子一人出会うことがなかった。その先の街道の尾瀬沼から富士見峠は、一時期交通止めだったこともあって、いまだ未踏のコースになっている。ロングコースと聞くが、いつか歩いてみたい。

 都会の中学生をガイドした時のことである。木道の雪道は危ないからと何度注意しても聞く耳を持たなかった女子が、とうとう踏みぬいて足を痛めた。あまりギャアギャアいうから骨折か、と焦ったが、捻挫で済んでほっとした。名古屋の近くに住む友人と沼一周した時は、友人が木道で滑って腕を骨折した。近くの沼尻の小屋に駆け込んだら、登山客が寄ってたかって、応急措置をして下さったが、その後の病院の救急外来で「応急措置が完璧」、と褒められたそうだ。沼は標高1600mを超える。自然はいつも危険と隣り合わせだけれど、手を差し伸べて下さる人たちのあたたかさはやっぱり忘れられない。
 只見川の源流に近い三条ケ滝の、雪解け水が集まる春の瀑布の勢いには身が引き締まるというか、怖さを感じたが、その上流にある平滑ノ滝の、流れるような秋の紅葉の美しさは、穏やかでまるで絵画のようだった。三条ケ滝までかなり急な斜面を下りる見晴台が、今年は工事中と聞いた。

 山開き前の尾瀬を、私は、ゆっくりいろいろなコースを思い起しながら歩いた。沼山峠の頂上付近にはわずかに雪が残るものの、例年に比べて極端に少ない。奥会津で「尾瀬」というと、ほとんどがこの大江湿原までのコースなのだが、アップダウンはあっても、木道も比較的新しいので、歩きやすい。沼が見える峠の見晴台にあるベンチが今までより二段ほど上まで延びて、見通しがよくなり、遠くに尾瀬沼が輝いている。目覚めたばかりの登山道は少し下ると、イワナシのピンクがわずかに色を添え、湿原に入ると水芭蕉もまだ小さく、可愛らしい。花芽を出したばかりのショウジョウバカマのピンクも鮮やかだ。沢沿いのリュウキンカの蕾はまだしっかりと固いが、少し歩くと黄色い花が目立ってきた。

 
 数年前新しくなったビジターセンターで、今咲いている花々を確認し、まだ体力に余力がありそうなので、久しぶりに三平峠まで歩いてみることにした。
 歩き始めてすぐ、群馬県となる。ここの木道は幅が広いし、とても歩きやすい。程なくベンチがあって、尾瀬沼をバックに燧ケ岳がことさらに美しいビューポイントだ。更に進むと、三平峠下と言って、まだ開業していないが、大きな山小屋もあり、食堂にもなっている。ベンチでお昼を食べている人が数組いた。まっすぐ行くと、東京電力の取水口があり、沼から流れ出た水は下流に行くと利根川に流れ着くのだそうだ。その先をぐるりとめぐると尾瀬沼を一周することができる。私は左に曲がって三平峠の頂上を目指した。思った以上に雪があって歩きにくいが、頂上付近に着くと雪もなく、平らで快適なオオシラビソの針葉樹の森が続いている。長蔵小屋の三代目、自然保護運動家の平野長靖氏が36歳の若さで凍死したのは確かこのあたりのはず、と偲んだ。氏はできたばかりの環境省の初代大臣、大石長官に直訴し、福島県と群馬県を結ぶ道路の開発を阻止し、当時のマスコミを賑わせた。ここにも、かつて尾瀬の自然を守る壮絶な戦いがあって、尾瀬の自然は守られた。
 峠の頂上から少し行った先は、まだ歩いたことがない。気になったが、来た道を引き返した。数知れず歩いても、まだ未踏のルートがある。近くに住んでいようが、尾瀬はいつまでも遥かにある。