【きかんぼサキ第2部】宿を背負う人は? | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【きかんぼサキ第2部】宿を背負う人は?

2024.07.15

渡辺 紀子 (わたなべのりこ)

「商売にとって三代目は大事。だが、三代目がぼんくらでダメになった、なんて話は山ほどあるからな」。
 こうした話を耳にすることがあった。また、旅館の経営を案ずる人が、忠告と激励の意味を込めて、三代目に教えてくれることもあった。というのも、父・紀由は三代目に当たる人だった。父が三代目なのだと理解してからは、他人ごとではないような気がして聞いていたものだ。
 しかし、本人は働き盛りの真っ只中、57歳で世を去ってしまった。家業に対する思いは、ついに聞くことはなかった。誰かに商売を熱く語るような姿も、見ることなく別れてしまった。

 父が元気だったある日、また三代目という話題が出た時のことだ。
「んだんだ。三代目がみっちりしてんなんねぇ。たまに三代目でずっこけっちまった、なんてこともあっからな。アハハ」と、毎度の如く、屈託なく話題に入ってきた紀由。それを聞くや否や、
「笑ってなんど、いられねぇべ!おら家の三代目はどこの誰なだよ」!
 あまりの呑気さに、すかさずサキノが雷を落とす。かたや、悪戯を見つかった子供のようにシュンとなる父。でも、それも一瞬のこと。すぐニコニコといつもの調子に戻ってしまう。
この二人は、こうしたやり取りを、どれほど繰り返していただろう。

二百三高地から生還した創業者
 サキノの嫁いだ旅館の創業者は、坂内乙松という人だった。農家の次男として生まれ、戦争では二百三高地での戦い(明治37年~38年)に送られ、幸いにも生還出来た人だったという。
当時、家督は必ず長男が継ぎ、後に生まれた男たちは幸か不幸か家を出て行かざるを得なかった。他所に生きる術を見つけ、新たに所帯を構える者。または、婿に入る者。それぞれが自分の置かれた立場での生き方に進むしかない時代だった。戦地から帰った私の曾祖父・乙松も、いくつかの稼ぐ場を経験しながら自分の生きる道を探していったことと思われる。
 乙松(明治13年生まれ)が育った頃は、すぐ上の高台にある八町という集落を通る道が田島街道だった。しかし、戦争から戻った頃、街道のルートを変える議論が村々で飛び交っていたようだ。八町という高いところを通らずに、下の道を整備して街道とする計画だった。上り下りが無くなれば、行き交う人たちが楽になることは容易に分かる。しかし、街道から外れてしまう集落は納得出来ない。この大きな変更に交渉は難航していたようだ。10年余りの年月を議論と交渉に費やし、何とか街道は改修にこぎつけた。大正2年のことだったという(※1)。その改修により、現在の旅館が建つ場所が本街道沿いとなった。

      

 元々旅館が建っているところは、玉梨の村で作った湯小屋(共同風呂)がある場所だった。近くに泉質の違う温泉が沸き、それぞれに中井湯、八町湯、箱湯、川原湯などと呼び合っていた。街道の通り道になったことも意識してか否か、乙松は中井湯のところの湯小屋の管理人に入ることで、そこに身を落ち着けることとしたようだった。
 温泉の近所の家々は、家には風呂を持っていなかった。そんな人たちが毎日入りに来るほかに、近隣の村の人たちが、農作業の合間に3~5日くらい湯治に来る。湯治客の世話をしているうちに、管理人からその人たちの食事の世話などにも広がっていったのだろう。家の中の一角で、かんざしやら小間物を売ることもあったという。そんな小商いもしながら、旅館と商店という商売に落ち着いていったようだ。
 少し年上のヤエノという妻をめとり、とにかく食べていくために二人三脚の日々を送っていくこととなる。
 大志のヤエノの実家に嫁いだ昌子さん(84歳)が、こんなことを語ってくれた。
「乙松じぃはよく家の手伝いしてくれた。盆や仏参りに来たときも、杉の枝伐りやってくれた。風呂の焚き付けに何ほど助かったもんだっけ。仏参りに来てそんなことしてくれる人なんて、まずいねぇべ。たいした人だなぁって。とにかく乙松じぃは百姓仕事に精出して、色んな作物もこしゃってた。したが、全く酒飲まねぇ人だった。その代わり、ヤエノばぁは酒好きなくれぇだから、どぶろくこしゃって売ったり、旅館に泊まる人に振舞ったりしてた。それは米なんかろくにとれねぇ戦争の時でさえ、何とかやりくりして飲みてぇってお客には出せるようにしてたみてぇだ。有り難かったってオレに語って聞かせてくれた人いたっけ。こうやって、二人で商売盛り立てたんだべ。そう思うよ」。
西中井に住む八町生まれのレイ子さん(80歳)も、
「乙松じぃは時々八町に上って来て、木伐りの手伝いしてくれた。口数そんなに多くはねぇが、語る時は百姓の自慢。ずねぇイモがとれたぞとかな。まぁ稼ぐじぃだったな」と。
 
 二百三高地での厳しい体験、一から築き上げなくてはならない次男の宿命、こんな試練を背負った乙松という人物が、旅館の礎を築いてくれた。子持たずの乙松夫婦が、お互いの甥と姪を養子として育て、後に夫婦とさせた。そこに生まれた待望の男の子が紀由だった。厳しさと辛抱を知る乙松ではあっても、初めて授かった命である紀由への思いはひとしおだっただろう。
 残念ながら、サキノが嫁ぐ1年前に乙松は亡くなってしまった。生きていたら、可愛い紀由に猛烈に発破を掛けているサキノをどう見ていたのだろう。大事な身代を守るため、そうせざるを得なかったサキノに気付いてくれただろうか。

※1  金山町史出版委員会編 『金山町史 下巻』 (昭和51年3月25日発行)