会津百名山鷲ヶ倉山 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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会津百名山鷲ヶ倉山 

2024.07.15

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

  只見町の蒲生地区から眺めると、まさに、勇壮な名前にふさわしく、姿かたちが鷲に見えるのが、会津百名山の一つ、鷲ヶ倉山(918m)だ。

『会津百名山』の本を紐解くと、発行されたのは、平成10年とあり、私はそれ以来、時々本を取りだし、眺めては、次の山行計画を立てていたことになる。だが、会津百名山は、登山道もない山も多く、私ごときには、最初から登る勇気もない山も多い。
深田久弥の「日本百名山」はあまりに有名であり、他にも二百名山あり、三百名山あり、各県別の百名山もあるのだが、「会津百名山」のような特定の地域を限定した百名山の本は、少ないのではないだろうか。もとより、福島県の保健所の主導で始まった健康づくりのためのリストアップではあるが、会津はそれだけ名山が多いとも言えるし、山を愛し、書くことのできる山屋が多かったのだろう。そして半ば埋もれていたこの本を見つけ出し、会津百名山を再デビューさせ、会津の山を見直すきっかけを作ってくれたのが、笠倉山に続き鷲ヶ倉山へ誘ってくださった横浜在住のMさんご夫妻だと思っている。今回も笠倉山同様、道なき道の急斜面の藪山を覚悟して、高橋ガイドの先導のもとに登ってみることにした。

 さわやかに晴れた6月最初の日曜日、今回は我が家の農家民宿に泊っていただいたので4人一緒に出発することができた。『会津百名山』の本によると、著者は寄岩地区から登った様子だが、我々は十島地区から登ることにするという。ところが集落を過ぎ、山道に差し掛かるあたりに「この先は、許可なくして通るべからず」というような看板がある。ワラビ折りの最盛期であり、そのワラビ園を通って登るので集落の人への連絡が必要だったのだ。慌てて知り合いに連絡し、区長さんに取り次いでもらって事なきを得た。 
ちょうど、ワラビ園は最盛期。ワラビを折る人がたくさん居て、本格的ないでたちで採っている人の姿もあってびっくりした。管理をしておられた区長さんは、我々登山者も温かく迎えて下さり、この山での昔の山菜取りの様子や10年ほど前、鷲ヶ倉山の登山道を刈りはらった事、以前は明治大学のワンゲルがよく登った事等のお話を聞くこともでき、区長さんのこの小さな十島集落への並々ならぬ愛情を感じることができた。そしてまた、我々が考えていたより上まで車で行けることがわかり、先導までしていただけたのは有難かった。

 太いワラビを尻目に、ワラビ園の端っこを通り、藪をこぐこと数十分で稜線らしき場所に取り付く。稜線からは、明瞭ではないが、なんとなく登山道らしき道を登っていく。程なく、郷土写真家の星賢孝さんも撮ったという撮影スポットに着いて、山ばかりでなく只見線をもこよなく愛するMさんの撮影タイムとなった。あらかじめ、列車の走る時刻を確認していたMさんは、遠く、眼下にゆったりと流れる只見川に沿って、むせ返るような緑の中を走る只見線の列車の撮影にすっかり満足げな様子で、これで今回の山行の目的の半分は達成したようだ。

                              

 その後も、さほどの急斜面もなく、一部不明瞭な箇所もあったが、稜線は案じていたよりずっと分かりやすい登山道である。山の花にも詳しいMさんと、綺麗に咲いているタカノツメや同じ場所のヤマグルマ談義をしながら、ゆっくりと登っていく。途中には素晴らしい眺望のスポットもあり、また只見らしい原初のブナ帯あり、フタリシズカの群落ありの稜線をたどって、労せずに頂上となった。頂上からの眺めは素晴らしく、近くに鋭くとがった蒲生岳、その向こうに去年登った笠倉山、そして兄弟のような浅草岳と守門岳、越後三山も割と近くに見えた。ひるがえって、飯豊連峰、磐梯山、日光連山も遠くでかすんでみえた。私達が眺望を楽しんでいる間、高橋ガイドは、山頂の、倒れた三角点の標柱あたりの草刈りを始められたのには、いつもながら、頭が下がった。

 下山は当初、別ルートを下り始めてみたが、あまりに急斜面であり、また登山道が全く不明瞭なことと、下山後の登り返しが大変なため、途中から引き返し、同じルートを下山することにした。下山道の藪では綺麗なモリアオガエルを見つけ、さすが両生類の宝庫と言われる只見、と、私達を喜ばせてくれた。

 ちなみに、只見の民話に、近くにあって、ほぼ同じ標高の、只見らしい急峻な山、鷲ヶ倉山(十島)と笠倉山(塩沢)、蒲生岳(蒲生)の三山に、大天狗が五徳をかけて、その上に大鍋をのせた、という「五徳庄屋」のお話がある。夫の章一が地元の元校長先生であり、町の古い歴史にも詳しい、故馬場淳先生に教えて頂いたというこのお話を元に、紙芝居を作っている。
今回、鷲ヶ倉山に連れって行って頂いたお陰で、低山でありながらも、私にとって、ハードルの高かった三山すべてを登ることができた。