床屋サロン | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

床屋サロン

2024.07.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

小島純さん(昭和27年生 三島町)

『髪結床』、そこは江戸時代、店内には床の間があり、髪結いを待つ間には、お茶を呑んだりタバコをふかしたり、将棋を指して世間話が繰り広げられる町の社交場だった。

軽快な寄席文字で書かれた“喫茶去”という看板を掲げたこのお店は、三島町内にある『床屋さん』だ。

「ちょっと寄れ、コーヒー淹れてやっから」
お店の前を歩いていたところを手招きで呼び込まれたのがきっかけだった。
中に入ると理髪スペースの脇に、ちょっとした空間がある。
その周りには、オーディオ、ギター、カメラ、DVD、本、写真…純さんの好きがこれでもかと詰め込まれた喫茶スペースになっていて、純さんが隣で丁寧にハンドドリップでコーヒーを淹れてくれる。
近況報告や純さんの孫自慢、マイブームの話…コーヒーをいただきながら取り留めない話で盛り上がる。
その間にも、ふらりぷらりと、お客さんではない、町内の人がお店に立ち寄る。
ここにいる少しの間に、久しぶりに、こんなところで、はじめまして、というような様々な人と出逢える不思議な場所だ。
「なんか人が集まってくれるんだよ。顔出してくれるのが、うれしい」
飾らない、構えない、気楽に、いつ行っても温かく受け入れてくれるから、安心してちょっと立ち寄れる場所。
そんなこの場所に、私は何度となく救われてきた気がする。
「床屋談義」があるように、人と情報が交差する、サロンのような、喫茶のような、まさに町の集会所のような空間が、ここにある。

祖父の代から床屋をしていた家に、8人兄弟の末っ子として生まれた純さんは、幼い頃家には寝泊りしていた内弟子(女性)が5~6人いたという。
最大19人での生活の中、常に一番年下だった純さんは、たくさんいるお姉さまから大層可愛がられていたようだ。
「一度に食卓つけないから、3回くらいに分けて順番に食べていた。一人で寝てーなって思ったことが何度もある」
高校を卒業した後東京の理美容専門学校に進学し、都内で修行を積んで、現在一緒にお店を経営する奥様を連れて店を継ぐために三島町に戻って来た。

「色々なことに興味があって、たまたま職業が床屋だってだけじゃないかな」
純さんは床屋さんの傍ら、カメラマンや寄稿、寄席文字筆耕、ギターや音楽を楽しんだり、前消防団長を務め、町内の役職もたくさん請け負っている。
小さな町で暮らしていると、複数の仕事や役割を兼ねて活動している人がたくさんいる。
そして、規模が小さいからこそ、小さく色々なところと関係性を築くことが、町で楽しく、うまく生きていくコツのように感じる。
好きなことやりたいことに貪欲に、器用にやりくりする純さんの生き方は、私の憧れだ。

三島町内のいたるところで、純さんの寄席文字と出逢うことができる。
「太くて、まろやかで…色気がある」
ずっしりとした土台として太く、人がたくさん入るよう隙間なく、景気よく右肩上がりに縁起を担いだ、力強い寄席文字を書く。
「ハマったものはどれも、自分が納得いくまでこだわりを持って追求する」
文字を書き始めたことをきっかけに、自宅の2階で寄席を開催したこともあるほどだ。

また、カメラ好きだった父親の影響で、小学生の頃買ってもらったカメラから始まり、これまでたくさんの町民の表情を撮り溜めてきた。
「指が自然に反応して、緊張が抜けた瞬間をすかさず撮る」
お店で、町内で過ぎる日常の中の一瞬の表情を、素早くカメラに収める。
普段からお客さんを、来てくれるたくさんの町民の方々をよく観察しているからこそ捉えられる、一番自然で、素直な笑顔。
床屋さんの散髪台は、時に写真の現像場になり、寄席文字の清書台になる。

最近の関心はもっぱら孫たちだ、と、純さんの話題比率で私は感じる。
「極めたいとは全然思わない。好きなことを好きなようにやっているだけ」
ただただ好きなことに正直に、真剣に、純さんの作る憩いの場が、町を、人を、情報を、緩やかに集わせる。