井口 恵(いぐちめぐみ)
長谷川トメ子さん(昭和22年生 柳津町)
つぶつぶの舌触り、もっちりした優しい甘み、ほわほわとした温もりに、ほ~っと頬が緩み、じんわり幸せが広がる。
柳津銘菓粟饅頭は、もち米粉に粟粉を混ぜ、クチナシで柔らかな黄色に色づけしたぷちぷちの生地で餡子を包み、ふんわり蒸した優しいお饅頭だ。
1818年福満虚空蔵菩薩圓蔵寺が大火事に見舞われた際、二度と災難に「アワ」ないよう、また訪れた参拝者が災難に「アワ」ずに無事に帰れるよう、厄除けを祈願して作られた。
遠く福岡県からお嫁に来た、はせ川屋3代目店主の長谷川トメ子さんに話を聞いた。
創業者である初代店主(トメ子さんの義父)が若くして亡くなり、継いだ2代目伸二さん(トメ子さんの旦那さん)が独自に研究しながら作り上げたのが、現在トメ子さんが作るはせ川屋の粟饅頭だ。
昭和54年トメ子さんがお嫁に来た当時は、伸二さんがお饅頭を作り、トメ子さんはお姑さんと一緒に店番を手伝っていた。
「昔は一人のお客さんが両手に抱えるほど買っていったのよ。7軒あった粟饅頭屋さんはどこのお店もみんな行列で、お昼ご飯も食べられなかったわ。参拝は午前中だから、朝早くから起きて、作れば作るだけ売れたのよ」
そんな中伸二さんに病気が見つかり、段々とお饅頭を作ることが難しくなっていく間、ずっと隣で補助をしていたトメ子さんが伸二さんを手伝ってお饅頭を作るようになった。
60歳の若さで伸二さんが亡くなる少し前に、店舗兼住宅の建て替えをしたばかりだった。
「ひとりでは自信ないし、辞めようと思ったけど・・・辞められなかったの」
7軒あった粟饅頭屋さんが徐々に閉店していく中、トメ子さんはこれまでひとりでお店を守り続けてきた。
粟饅頭の作り方は、少し独特だ。
「お猪口に入れてトンと叩いて、ホイと出す」
各店にそれぞれオリジナルのお猪口があって、そこに生地と餡子を入れて成形する。
はせ川屋さんのお猪口は会津本郷焼の窯に特注で焼いてもらったものだ。
「生地の厚さを一定に、いかに餡子が透けないように真ん中に入れるか、気を張っている。それだけの作業に神経を注いでやっているの。あとは何にも難しいことはない」
毎日毎日数百個同じお饅頭を作り続けていても、飽きることはないという。
「お父さんの味を、壊さないようにしている。今でも、まだまだお父さんには敵わないのよ」
テキパキと要領よく作業を進める頼もしいトメ子さんには、常に伸二さんの存在が隣にある。
はせ川屋さんの粟饅頭の購入は、7割が奥会津のお客様だ。
「『いつ食べても同じ味、ほっとする味ね』って言ってもらえるの」
地元の人が、昔から食べてきたいつもの味。
はせ川屋さんに行けば、必ず食べられる味。
「信頼して貰える味を、裏切らないこと。昔から田舎にある、素朴なお饅頭よね。地域で親しんで愛してもらえる、これ以上は望まない。大々的にはできないし、する気もない。本来の姿を味わってもらえたらそれでいいのよ」
トメ子さんと伸二さんが変えずに、変わらずに大切に守って来たお饅頭が、地元の人から長く愛されて、ふんわり地域を優しく包み込む。
「死ぬまで現役でいたいと思ってる。健康に気を付けて、一日でも長く続けられたらなぁと思う」
はせ川屋さんに行けばいつも食べられる、奥会津には欠かせない、安らぎの粟饅頭。