野老沢相撲甚句 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

野老沢相撲甚句

2024.07.01

井口 恵(いぐちめぐみ)

齋藤正志さん(昭和38年生 柳津町)

はぁ~ 相撲取り人は 大きな鳥です
はぁ どっこい どっこい どっこいさ~
四本柱のヨーホホイ エー 中に住むよ
はぁ どっこい どっこい どっこいさ~

柳津町野老沢地区では、「相撲甚句」が受け継がれている。
江戸時代後期、日照りが続いて困った際に雨乞いを祈願して奉納相撲を催した頃から始まり、戦後しばらく途絶えていたが、昭和63年に野老沢郷土芸能保存会を立ち上げて地区の伝統芸能として復活させた。
復活した頃から世代交代をして、現在は80代~40代の15人ほどで取り組んでいる。
野沢老地区には37軒あり、どの家にも四股名と化粧まわしがご先祖様から脈々と引き継がれている。
正志さんの四股名は「白石」だが、その由来はわからない。
「昔は遊びもないから、娯楽として相撲を取ってたんだよ。田んぼの隣でも、雪の上でも、土俵ひとつ作ってどこでもできるから。若い衆が集まって、番付表なんかも作ってな」
今では相撲取りの習慣はなくなったが、各家で立派な化粧まわしと、保存会で甚句を大切に守って来た。

披露の場が近づいた夜、集会所で行う練習を見学させていただいた。
「『はぁ~』の謡い出しで右足から踏み出すから、『どっこいさ』の終わりの具合を見て唄を合わせてな」
甚句は単調なリズムを繰り返すように見えるが、足と唄を合わせるのはなかなか難しいようだ。
「踊りから入ると、唄の音頭、太鼓や拍子木のテンポやタイミングもわかるぞ」
今回初めて練習に来ていた若者に、今後何をやりたいか、正志さんがアドバイスをしていた。
若者:「小さい頃から何度も見ているから、大体の流れはわかります。相撲甚句は気づいたら身近にありましたね」
現在の甚句の歌詞は、昭和63年に保存会ができた時彼のおじいさんが作り直したものだという。
若者:「じいちゃんが一生懸命やってて、地区で大事にされているから、守っていかなきゃっていう思いがあります」
野老沢では相撲甚句をはじめ、集落行事のような集まりをとても大切にしている。
「昔から、野老沢は縦の繋がりがすごく強かった。上から下に言うではなく、下の人が上の人を見てて、そのためにこうしなきゃって思わせる関係性があった」

正志さんは42歳の時家の代替わりで相撲甚句に参加することになったが、始めは躊躇いがあったという。
「正直、なんで踊らなきゃなんねぇのって。最初はしょうがなく参加してたね。でも、1回、2回…と裸になって大勢の前で踊っていくうちに段々熱が入っていって、誇りを感じるようになっていった」
いい大人が本気で、一生懸命やるからこそ意味があると、豪快な笑顔で楽しそうに語る。
「先人たちが残してくれたから、踊る。せっかく残っているものがあるなら、なくしてはいけないような気がする」
昔は『結』という互助があり、農作業など人手がいる時はお互いに協力していた。
「『個』が重視されている時代だからこそ、『地域の繋がり』を大切にしていくことも必要だと思う。相撲甚句も、地区の人同士の交わり、地域の結びつきを守るための大切な存在」
野老沢では、種々の直会が盛り上がってくると誰からともなく甚句を唄い出し、みんなの心がひとつになることで、絆が強まり野老沢への愛がより一層深まる。
野老沢で生きる人たちにとって、相撲甚句は誇りであり、先人たちへの敬意であり、この伝統を守ることが地域を守っていくことなのだ。

「間違っても自信満々にやればいいの。心配しない、心配しない!」
青空の下、天下泰平、五穀豊穣、無病息災を祈願して高く大きく弓を振り上げ、力強く四股を踏む正志さんが、輝いていた。