渡辺 紀子(わたなべのりこ)
サキノには、自分の結婚式の記憶がほとんどない。
足入れの時の、大雪の中での引き渡しの場面など、ついこの間のことのように語っていたのだが・・・。
結婚式こそ忘れがたい節目のはずだが、あまりに目まぐるしい環境の変化に、サキノの記憶も錯綜してしまったものか。結婚式の写真も、数年後に起きた水害で流されてしまった。また、兄弟姉妹にも、なぜかサキノの結婚式の記憶は希薄だ。
「3月の頃だったか、いや、5月の頃だったかなぁ」。
サキノの返答は何とも心もとない。いずれにせよ、大きな人生の節目は早春の頃だったのだろう。
晴れの結婚式は、当然嫁ぎ先である旅館で執り行われ、当時の習わしとして、親戚や近所や友人たちが、それぞれの役割を担い、つつがなく行われたと思われる。近所の芳太郎さんが
「紀由君の祝言だと、オレは多分“燗たろう”でもやってたんねぇかな。友達は席になんか座んねぇで、お客様の酒の燗つけをよくやってたもんだっけからな」と。
商売屋の跡取りの結婚式は、当時に見合った賑やかなお披露目だったことだろう。
サキノがかすかに覚えていたことがあった。その日たまたま遭難騒ぎが起きてしまい、その騒ぎに招待客の多くが駆り出されていなくなってしまったという。慌ただしい結婚式であったことは想像できる。
花嫁支度として、サキノも箪笥を一棹持たされ嫁いでいた。貧乏な家から世間並みの支度をするためには、サキノの母もさぞ駆けずり回ったことだろう。花嫁支度の箪笥というと、扉についた取っ手のところに熨斗紙が掛けられているものだったという。
しかし、この花嫁箪笥を巡って、サキノにとっては遭難騒ぎよりも忘れ難い衝撃的な出来事が起きていた。それは、一瞬の出来事だった。サキノが箪笥のある部屋に入った、その時だ。まるで見計らったように、女中頭のような○○さんが突然熨斗紙を破き、引き出しを一段一段すべて開けて見ていったという。そして一言
「なんだ、これっぽっち」。
あまりに突然のことに、サキノは言葉も行動も出てこなかった。ただ茫然と立ち尽くすだけだった。が、湧き上がる悔しさに震えるようだったという。箪笥の中身など確認する間もなく嫁いできたサキノだったが、そこに入っていた数枚の着物が、姉や親族がやっとの思いで入れてくれたものだということは、見るまでもなく分かっていたから。
「箪笥のお披露目」という風習も、当時はほとんどやらなくなっていたようだが、お披露目であったとしても、女中さんが勝手に中を確認するなどあり得ない。それに、何よりそこには家の人が誰もいなかったのだ。箪笥を開け閉めする音だけが鳴り、その場にいた数人の女中さんは誰も語らず、最後に発したたった一言の言葉だけが響き渡る。こんな異様な静寂は、本来の「箪笥のお披露目」とは全く違う。花嫁として注目を集める賑やかな宴の合間に、こんな静かな緊迫の瞬間がサキノに起こっていたのだった。サキノの結婚式の記憶は、この一瞬の出来事によって、ほぼ消えてしまったのかもしれない。まるで、突然サキノの目の前に“大人の扉”が立ちはだかってきたかのように見える。
サキノはそれまで貧乏を恥ずかしいとも何とも思っていなかった。幸いにも貧乏をとりたてて意識させられる場面も無かった。そんなサキノにとって、貧乏を真正面から突き付けられたのは生まれて初めてだった。
嫁いだ家の人たちの知らぬところで、サキノはいきなり大人の世界の洗礼を受けていた。記憶は正直に心のありようを映していたのだろう。
「横浜から来たお嫁さんだから、お洒落でちょっと違うなぁって思ったの。髪はアップにしておだんごにしてた。ずっと年下で横浜帰りのお洒落なお嫁さんが来たって、兄は多分嬉しかったんじゃないかな」
そんな中で、サキノの義理の妹、結婚当時一人だけ家にいた芳枝叔母さんの第一声は予想もしないものだった。当時12歳の彼女の目に映る兄嫁の印象に、横浜?お洒落?こんな言葉が混じっている。サキノの僅かな横浜暮らしは、相当のインパクトを与えていたようだ。
「サキノ姉さんは、ソシアルダンスも踊りこなす人だったんだよ。やっぱり横浜仕込みのお嫁さんは違うなぁって、ホントそう思ったの」。
当時のことを問う私に、義妹はそう語った。横浜に居たのはほんの数カ月と言っても、思い込んだイメージは、今なおすっかり定着しているらしい。これから生活を共にする義妹の無邪気な眼差しに、サキノの心も和らぐひとときがあったことだろう。
貧乏な農家育ちの嫁、横浜帰りのハイカラな嫁、不思議なほど別なイメージが飛び交う中での新たなスタートだった。
言葉にはできない重い扉。その前でサキノは言葉を閉ざした。サキノが飛び込んだ深い海に潜む暗い闇。娘の私でさえ知ることのなかった暗く冷たい海を、サキノはある強い覚悟をもって泳ぎ始めたのだろう。お腹にいる新しい命を感じながら…。