紙雛を流す | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

紙雛を流す

2024.03.01

井口 恵(いぐち めぐみ)

渡部勝子さん(昭和4年生 三島町)

「みんな作って流しちまうから、雛人形は持ってない。里から(お嫁に)来た人は実家から貰ってきたりするけど、昔この集落の人は雛人形置いてなかった」
三島町高清水集落には、毎年桃の節句に紙で雛人形を作り、女の子の健やかな成長と、家族の無病息災と長寿を祈って只見川に流す「雛流し」という伝統行事がある。
そのため、昔からこの集落では毎年出して飾る雛人形は持っていなかったそうだ。

写真提供:菅家敏一さん

 

「送られてきたお菓子の包装紙とか、大事にとっとけんの。忘れたみてぇだと、一体しまっておいたの見ながら、なんとかやったわい」
かつては千代紙で作っていたそうだが、今ではその紙が手に入りにくくなっているという。
町内で扱っていた商店にも置かれなくなり、会津若松で購入したという人もいた。
「頭がめんどうなんだ。黒い髪作んのに、今は墨汁だけど、昔は墨摺って和紙に塗って準備しななんねぇ」
ここ数年は、髪紙の準備はずっとご主人が「やらされてる」と横で笑う。
ふっくらとした髪の丸みは、高島田か丸髷か。
よく見ると、一体一体の髪型が微妙に違う。
対象となる人の年齢、立場、作る人の工夫によって、家々でも異なるようだ。
「年明けたくらいから、ちょっとずつ作り始める。顔と頭は糸で縛ったりもするの。今は楽してノリ使ったりしてっけどな。昔より手が込んできたとこもあんな」
各家の女性の数だけ、その家のおばあちゃん、お母さんが子供の病気や災いの厄を祓って、幸せを願って作っている。
勝子さんは、毎年娘と孫、自分と3体の紙雛を作る。

写真提供:菅家敏一さん

 

「年長の男の子が中心になって、各家の紙雛を集めて回る。昔はみかんの箱とか、段ボールとかだった年もあったな」
ご主人が子供の頃は、木箱ごと船着き場や発電所、橋の上からぶん投げていたという。
3月2日の晩に作り、3日にお供え物と共に飾る。そして4日に川に流すのだ。
「ばあやがやってたの習って作ってっけど、今まで流すとこは行ったことなかった。仕事あったから、作ったの隣の家に預けてな」
勝子さんは去年初めて流すところを見に行ったそうだ。

雛流しは、中心になっていた子供が減少したことで継続が難しくなり、昭和36年頃一度途絶えた。その後、昭和58年から始まった年中行事と自然景観を住民の誇りとして奨励する「地区プライド運動」をきっかけに、集落をあげて再開した。
今、高清水集落に中学生以下の子供はいない。
ここ数年は婦人会を中心に何とか継続をしてきた状況だ。
今年はたまたま訪れていた集落民の孫が回収することになった。
小学校1年生、初めての突然の体験で、たくさんの大人に囲まれながら何をやらされているのかも曖昧な、緊張した様子だった。

「昔っからやってるから、やらないと気持ち悪い。流すと思うから、作る」
形式ではない。昔からの習慣で、心の拠り所だ。

たくさんの雛人形を乗せた桐箱は、春を感じる日差しの中、きらめく只見川をぷかりぷかりと遠ざかる。

(2023年に取材したものです)