鈴木 サナエ(すずきさなえ)
まだ、小学校にも上がらない子どもの頃、すぐ近くの、本家の祖母の家で水飴を飲んだことがある。私たち家族にも
「今日は飴煎じすっから、みんなして来(こ)おやぁ」。
との、使いを受けたのだろう。曲り屋の夕刻の家の中は今よりずっと薄暗く、飴のにおいで満ちていた。囲炉裏に掛けられた大鍋の中の飴は、まだまだ出来上がりそうにない。本家の家族だけで7人、私の家族が4人、その他の従兄弟もいたから、総勢15人以上はいたように思う。遊び疲れて、待ち遠しくて、おまけに広い居間も暖かくなって、私は父の膝に頭をのせて眠ってしまった。出来上がって起こされ、寝ぼけまなこで飲んだはずの、せっかくの飴の味は、さっぱり覚えていないが、ちゃぶ台の上の器にたっぷり盛られた、搾りカスの白さが、なぜかとても鮮明に目に焼き付いている。
今年も、寒の入りも過ぎた日、友達のYさんが「飴よばれ」に誘ってくれた。メンバーは、身体の弱い旦那さんを日々介護するMさん、今年から除雪補助員として、ブルドーザーに乗って張り切っているMちゃん、いつも観光行政に積極的に取り組んでいる食いしん坊のIさんと、やっぱり食いしん坊の私である。それぞれに珍しいみどり米(自然農法で作った緑色の米)のお餅、沢庵、干芋、甘酒等々を持ち寄って、正におしゃべり女子会である。そっと口に含む飴の味は、ふくよかで、滋養深く、正真正銘のなんとも有難い飴の味だ。寒の内に作られた飴は悪くならないとか、今は保温ジャーがあるから失敗も少ないとか、子どもの頃、風邪を引くと甕の中の飴を箸に絡めて食べさせてもらったとかの、飴にまつわる話、只見の発酵食品の話、はたまた、子どもの頃の遊びの話など、世代を超えて話題は尽きず、結局解散したのは夕刻になっていた。
1月17日放映のNHKテレビのアーカイブでは1990年放映の只見の「飴よばれ」が映し出されていたし、一昨年のNHKの「グレーテルのかまど」でも大きく取上げられ、その他民放でもたびたび放映されていて、今やすっかり只見の冬の風物詩になっている。「飴よばれ」の日にいただくトロトロの水飴を煮詰めれば一休さんのとんち話で有名な甕の中のドロッとした琥珀色の水飴になる。もうずいぶん昔、越後の水飴が天皇家に献上されていたという記事も読んだことがあるから、昔々は日本中どこででも作られていたと思われる。それが、今は珍しいものとなって奥会津に残っているのは、長く雪に閉ざされた冬だからこそ、手間暇かかる飴を作ることができたのだろう。とはいえ、私が子どもの昭和30年代始め頃までは、米は貴重で、まして、たくさんのもち米を要する飴づくりは、「飴煎じ」と言われて、容易くどこの家でも作ることのできるものではなかったようだ。現に、隣町の女性二人から、
「おらほでは、コメはあまりとれなかったから、飴なんぞ作らなかった。」と聞いた。今のように「飴よばれ」として普及したのは、昭和30年代後半の、高度成長時代に入ってからなのではないだろうか。
その「飴煎じ」が、今ではあまり作る人が少なくなってしまった。作るのは比較的簡単でも、丸二日間かかる面倒な工程を行う暇がない若い人が多い。勿論、飴に対する愛着も少ないのだろう。そして第一に、ここ数年危惧していたことだが、飴を作るに必要な「モヤシ」と呼んでいる、大麦の萌えを乾燥させ、粉にすることのできる人が少なくなって、モヤシが簡単に手に入りにくくなってしまった。何とか、貴重な「飴煎じ」の食文化を残していきたい。
水飴の作り方
<材料>
もち米
麦もやし
<作り方>
- もち米を一晩水にうるかし、蒸す、または普通に炊く。
- 蒸しあがったもち米を保温ジャーへ移し、ぬるま湯を加えほぐしておく。
- モヤシをサラシの布袋に入れぬるま湯を加えてボウルなどに揉みだす。これを数度繰り返し、炊き上がったジャーの中のもち米の上にヒタヒタになるぐらいまで加えヘラで返しておく。
- ジャーに電気を入れ、保温のまま一晩(7~8時間)置く。
(この辺りまでは、甘酒を作る工程とほぼ同じ)
- 大鍋を用意して、ジャーの中のもち米を大きなサラシの袋の中に入れ、揉みだす。
この時、熱いのでゴム手袋を使用する。
- 揉みだして残ったもち米は「カス」と言って食べる時に入れるのでとって置く。
- 揉みだした液体(水飴)のアクを取りながら、二時間ほど煮詰める。
- 泡が出てきて、トロっとしてきたら、出来上がりの目安となる。