鈴木 サナエ(すずきさなえ)
只見町には都会からの移住者が多い。ある人は只見に居を構え、またある人は別荘として構えて、生活している。ほとんどの人が薪やペレットストーブで暖をとり、今どき、綿入れ半纏などを着込み、また、名水の湧水を汲んだりして、只見生まれの私よりも、よっぽど、ゆったりと、只見らしい生活を楽しんでいる。
Oさんご夫妻もその中の一組で、自宅は神奈川にあるのだが、奥会津の渓流釣りの趣味が高じて、只見に別荘を求めたのが平成15年と聞いた。原発事故で災難にあったり、また虐待を受けたり、様々な障害をもつ猫と三人で暮らす只見での時間は、今では、自宅のある神奈川よりもずっと長い。ご主人のAさんの、自宅近くまで来るリスやヤマドリの他、野生の花などのウォッチングは、微に入り細を穿つから、ガイドとしての素養も高く、只見の公認自然ガイドの重要な一員でもある。また奥様のMさんも何事にもきちんと取り組む方で、河井継之助記念館のボランテイアガイドとしても活躍し、そのおもてなしのガイドは、観光客にとても人気が高いと聞いている。
さて、そんなAさんだが、奥会津ミュージアムの私のサイトをよく読んでいて下さっていて、時々間違いも指摘してくれる、うるさ型でもある。もともと、『会津学』の本も愛読書の一つだったようだ。前回の「カンネリボウ」を読んで下さったAさんから、早速、「是非、カンネリボウを食べさせてくれ。」との連絡を受け、近くの友達も呼んで、大寒の日にAさん曰くの「カンネリボウ呼ばれ」をすることになった。
我が家のカンネリボウは、言ってみればソバガキをだし汁に入れた、そば団子のような簡単なものなので、当日はニシン漬、漬物などの郷土食のおかずも加えて、賑やかな食事会となった。ひとしきりおしゃべりの後、いよいよ、奥様のMさんが持ち込んで下さった、筑前琵琶の弾き語りが始まった。
実はMさんは筑前琵琶日本旭会に所属する、日本でも数少ない琵琶奏者でもある。平家物語や琵琶法師と、琵琶の言葉になじんではいても、実際に生の演奏を聴いたことのある人は、あまりいないのではないだろうか。我が家では過去に二度、演奏会を開いて、周りの人に聴いてもらっている。今回の題目は「隅田川」で、人さらいにさらわれた、息子を探しに京から隅田川にたどり着き、息子の死を知った狂った哀れな母親の話を、Mさんは滔々と弾き、謡いあげた。
弾き終わったMさんは「章一さんの奉納演奏会をしたい」と言って下さった。音楽には全く疎く、音痴の章一ではあったけれど、Mさんの琵琶演奏は喜んで聴いていた。それに一昨年、章一が久しぶりに、河井継之助記念館のガイドをやった時、Mさんと一緒だったそうである。身体も弱っていた章一なので、私は、結構歩く距離も長いガイドができるかどうか、心配していた。しかし、私の心配などをよそに、記念館の明るいスタッフにも助けられ、何よりMさんと一緒のガイドが楽しかったらしい。久々に晴れ晴れとした表情で帰って来て、珍しいことに、「またガイドをやりたい」などとも言っていた。そんなご縁のMさんの琵琶の演奏が聴けるとは、章一もきっと、喜んでいるに違いない。
そしてまた、暖かくなったら、奥会津ミュージアムを読んでくださっている方々、それにかかわっている方々にお知らせして、ささやかな琵琶の演奏会を開きたい。その中で、できることなら、能登で災害にあった方々に少しでも寄付ができたら、などと、私は大きく、思いを馳せています。