井口 恵(いぐちめぐみ)
角田紘伸さん(昭和18年生 金山町)
「どっから来らったぁ」?
地元の老夫婦、移住者らしき親子、明らかな観光客…ひとつの湯船の中で談笑が混じる。
木造の高い天井に丸太の梁が立派な、八町共同浴場亀の湯。野尻川に面した混浴の温泉だ。
「産湯から今までずーっと、毎日入ってる」
あぁ、なんと。もう全身から、温泉への愛がブクブク湧いている、角田紘伸さんに話を聞いた。
「川の両側にはでっかい石がいっぱいあってな、そこからどっぼーーーんて川に飛び込む。岩の陰にはイワナやハゼ、浅瀬にはカジカやバッチョがいて、追いかけて突いたりしてなぁ。身体が冷えて寒くなると、河原の砂場を掘ると温泉が出てくるから、周りに石を集めてそこで温まんの。そんでまた川に飛び込んで。いやぁ楽しかったわぃ」
子供にとって、あっという間に過ぎる一日だったのだろう。
聞いているだけでワクワクしてくる。
かつては河原に温泉が自噴しており、周りを囲んだだけの簡素な湯舟の底からぼっこぼっこと湧くお湯は、そのまま川に溢れ出ていたそうだ。
「春になって雪解けで水が増えると、(水圧で)湧き上がるお湯の量もすごくてなぁ」
野尻川を挟んだ両岸を結ぶ弁天橋は、かつては木製の吊り橋だった。
「飯終えてから行くと、弁天橋の両端に男も女もずらーっと並んで、みんなおしゃべりしてたのよ。結構遠くの他集落から、自転車に乗って来る人もいたな。そのおしゃべりが、楽しみなの。いくらでも、いつまででも語れたわ」
娯楽施設や飲食店がなかった当時、青年団同士の友情を育み、若い男女の出逢う貴重な場だったと嬉しそうに語る。
この橋の上で、いくつの出逢いと物語が生まれたのだろう…
「橋の奥を舞台に芝居ぶってんの、筵(むしろ)敷いて観たりもしてなぁ」
地域の人々が憩い、癒されると同時に、語り、戯れ、遊び、ときめく場でもあったようだ。
「子供の頃から背中の流しっこしてたから、お互いの成長も、全部わかる。恥ずかしいなんてもんはねぇな。男女だとか混浴だとか、気にしたこともねぇ。昔から入ってた人は、東京に嫁いでいった人(異性)でも、帰省すると今でも一緒に入りに行くわ」
なんだか、こそばゆい。
どうしよう。裸だから、隠せない。
きっとこれは身体の成長だけではない。
生まれた頃から、あるがままの姿を、その成長を見られ続けてきた関係。
気づいたときには、もう隠したくても隠せない、自分のことを知られてしまっている関係。
「風呂でいたずらとかすっと、親でなくてもよっっっぱら怒らった。町中の人が見てて、隠し事なんてできねぇんだな」
町のみんなが、同じ目線で子供のことを見守っていたという。
「隣の家のばさまから、『じいさんが今日は機嫌が悪いから、湯でも誘ってくろ』ってお願いされて、一緒に風呂入って愚痴流して帰ってくんのよ」
ずっとずっと昔から、この温泉が、町の人間関係を豊かに温めてきた。
みんなが、家族で、共同体。
この地域では温泉が暮らしの中に溶け込んでいる。
「温泉に行く」のは特別なことではない。
朝起きる、ご飯を食べる、温泉に入る。という“日常”だ。
その日常から続く、人と人の繋がり。温泉が育む地域の暮らし。
そして、ふと訪れた温かい湯の中で、奥会津と繋がる新しい出逢いが始まる。