井口 恵(いぐちめぐみ)
菅家藤一さん(昭和28年生 三島町)
熊のような強さと、優しさが共存した迫力を持つ人だ。
山菜、きのこ、ヤマブドウの蔓、薪柴刈り、鉄砲撃ち、気晴らしに運動、犬の散歩…
1年を通して日常的に山に入り、方角も地形も、自然の変化、天気予報や豊凶予想まで、肌で感じている。
子供の頃から自然に育まれた第六感のようなもので、山と対話をしている人なのではないかと感じることがある。
藤一さんは昭和64年12月、初めて熊を撃った。
集落の人と一緒にヤマドリを獲りに山に入り、悉く外して少し不貞腐れた帰路だった。
猟犬を連れて道筋にある熊穴を見ながら山を降りていくと、ひとつの穴の前で犬が緊張して動かなくなった。
「穴覗いたら熊と目が合った。いやぁ、おっかなくてぶて(撃て)ねぇ。放心状態だったな。でもこれはやべぇと思って、撃つしかなかった」
鉄砲歴50年、今まで撃った熊は50頭弱(内30頭は有害駆除)、私が出会った中で三島一の山男が、藤一さんだ。
熊は山で一番強い王様で、“山の神様”でもある存在だ。
熊を撃った時には、そのいのちと山への感謝を伝える「毛祀り」という儀式を行う。
その場にある枝で鳥居を作り、熊の頭から毛を数本抜いてお供えし、祝詞を唱える。
「熊撃ったら、そのまま村には入らんねぇ。そのまま引っ張り込まんねぇんだ」
熊が獲れた合図に、村の入り口で鉄砲を1・2発撃つ。
神聖な存在だからこそ、その大きなありがたみを集落みんなで分かち合ったという。
「熊なんか獲ったら、祭りだ」
年齢や関係性での上下、誰が追った撃ったはなく、山に入った全員で平等に分け合い、肉は貴重なたんぱく源としてみんなで食べた。
熊の皮は、敷物として春先になると買いに来る人がいて、1尺3万円程で売れた。
油はやけどに良く効く保湿剤、生骨は擂って水に溶かし、子供の熱さましの薬にした。
乾燥した熊の胆は、二日酔いや胃薬他、万能の漢方薬として富山の薬屋が高値で買い取った。
昭和30~40年初め、藤一さんのお父さんの時代には、日当700円の頃、冬場出稼ぎより猟で家庭を支える人もいたそうだ。
捨てるところはなく、熊1頭が暮らしを支え、集落を結ぶ尊い存在だった。
「豊かになると、ダメなんだ。貧しいから、分け合ったし助け合った。今は、人と人の繋がりは、薄くなったな」
猟師としての目的は3つあるという。
ひとつ、山の神との勝負
ひとつ、集落の人が楽しみにしている
ひとつ、安心して山に入れるように(危険回避)
山の神への畏怖と共に、男の闘争心を掻き立てられる存在でもあったようだ。
「無駄な殺生はやってなんねぇ。奥山の熊はあんま獲んねぇ方がいい。人に被害及ぼすのだけにする」
昔の熊は奥山で十分餌を食べられたが、人間が山にどんどん杉を植林したことで餌が減り、熊の餌場を奪った。
気候変動で木の実が生らず、どんぐりもブナも昔のように豊作にならない。
10年くらい前から、餌場を追われ里に下りてきた熊が、民家の畑にかけた檻にかかることが増えた。
「熊の役目があるから、山のためにもある程度生かしとかないとなんねぇ」
木の実を食べて山を移動し、所々に残した排泄物の中の種から発芽し、山の循環を促す。
熊には山の生態系を豊かに育む大事な役割がある。
山に生まれ、山で育ち、山と共生しているからこそ、深い雪の中、藤一さんは毎年山の神様に会いに行く。