鈴木サナエ (すずきさなえ)
我が家には、舅が趣味で庭屋さんを頼んで造った、雪国にしてはかなり本格的な庭がある。もうずいぶん幹回りが大きくなってしまったケヤキ、ブナ、イチョウが庭の一端を取り囲み、ひょうたん型に近い形の池があって、そのそばには横枝を大きく張り出した、形のいい松が植えられている。庭屋さんが植えたイチイや松、私が求めたエゾツツジ等々、他所ものも少しはあるが、大方は地元の樹が植えられている。中でもツツジは赤、白、オレンジ、ピンクと春の日を楽しませてくれ、ウラジロヨウラクツツジ、サラサドウダンツツジや、あるいはホツツジと幾種類もあって、秋の紅葉が美しい。アジサイ、ツバキ、ユキヤナギ、コデマリの木々は姑の花材にもなったし、勿論福島県の花、シャクナゲもある。下を見れば、ヒトリシズカをはじめ、無くなってしまった山野草もたくさんあるが、40年も前に頂いたシラネアオイの花は場所を変えながら今も健在だし、コシノカンアオイ、キバナノイカリソウ、ニオイギボウシ、ショウジョウバカマなど、それぞれの季節を楽しませてくれている。
そんなふうに早春から晩秋までゆっくりと愛でることができる庭なのだが、一つだけ大きな問題がある。それは豪雪に耐えるだけのガッチリとした雪囲いをしなければならないことである。夫の章一は退職してからこの方、その冬囲いを一人でやっていた。他においては、そんなに几帳面ではないのだが、この仕事だけはバカに丁寧だった。気い揉み性の章一は、まだ紅葉にもならない10月の半ばになると、冬囲い用の木をたてかける場所を作り、サイズ順に並べていく。そして大きな松や燈篭から順次始めていく。横枝の張った松は三日もかかったし、その他大きいのになると一日せいぜい2本ぐらいしかできない。しかも、すべて出来上がっても、時間があると、ドンドン囲いの木を増やしていく。私は他の秋じまいの仕事もやってほしいから、
「そんなに過保護にしたら、木が窒息するんじゃないの」
「そんな芸術品じゃないんだから、もう少し大まかでいいんじゃないの」
とか、手は出さないけれど、口は出していたが、章一はそんな言葉にはいっさい耳を貸さない。一本出来上がると、少し離れて眺める、というようなこだわり様だった。
そんな章一が居なくなって、初めての冬を迎えようとしている。冬囲いが自分でできなくなり、章一が頼んでいた人に今年もまたやって頂いて、大きな木の冬囲いを終えた。小さな木は娘たちがやると張り切って来てくれたのだが、結局はできないままだった。
「もうこのままでいいんじゃないの」
と、あきらめた結果の冬囲いは、笑ってしまう程雑なのだが、これを見た章一は、笑い出すのか、怒ってしまうのか。
今となっては、あの丁寧すぎる冬囲いが懐かしい。
「仕方ないよね、お父さん、ごめんね。」