【山と草花】雪を待つ | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【山と草花】雪を待つ

2023.12.15

鈴木 サナエ(すずきさなえ)

 12月11日 朝、庭に出てみると、師走も半ばだというのに、遠くの横山(1,411m)には雪が白く見えたが、目の前に聳える柴倉山(871m)には雪がない。見慣れた風景はぼんやりと曇って、空気が柔らかく、温かい。この時期、何処の家にも黄色いスノーダンプやスコップが玄関先で出番を待っている。雪も降らず、秋が長い今のような季節によく交わされた「今年は秋どお(遠)で、助かるなあ。」の挨拶の言葉が、どこからか聞こえてきそうだ。

 今はそんな言葉を使う人もなく、軽トラックがスピードを上げながら通り過ぎていく。私も今日は草木染に使う杉の葉と、生け花のあしらいに使うユキツバキやヒメアオキ求め、山裾に行くことにした。

 山裾と言ってもスキー場脇だから、車で五分もかからない。ここは、亡き夫の章一が若い頃足しげく通った場所であり、私が小学校一年生まで過ごした場所でもある。車を降りるとすぐ、リフトが動いているのにはびっくりした。雪がないので気付かなかったが、考えてみればあと10日余りでスキー場開きになる。試験運転中の空っぽのリフトがぐるぐる回っているのだった。

山奥の小さなスキー場
夫・章一

 章一は12月になるとよく「早く雪が降んねえがなあ。」と言って雪を心待ちにしていた。その都度姑は「そ~だバガなごと言ってんでね。」と、本気で怒るのだった。

 世界に冠たる豪雪地帯の只見にあって、大方の大人達にとって邪魔者の雪は一日でも遅い方がいいのだが、スキーバカの章一は雪の降る日を待ち焦がれていた。

 章一はスキーバカとは言っても、自分で滑ってスキーを楽しむ、というよりは、町にスキー協会を立ち上げ、スキースポーツ少年団の組織造りと育成に力を注いでいた。最初の頃は、ブッシュを切り倒す等のスキー場整備の作業のボランテイアもいとわず働き、雪が降ると、まだリフトもないスキー場で、ポケットに飴やチョコレートを忍ばせ、スキー少年を誘惑していたとも聞く。そんな章一たちの期待に応えて、少年たちはこの小さなスキー場から県大会を制し、東北大会まで臨むのにも、そんなに時間がかからなかった。もう50年以上も昔のことになってしまったが、そんな章一の夢を育んでくれた少年たちがたくさんいて、その親御さんがいて、このスキー場があったのだった。

        

 私はぶつかるはずもないリフトの下を、用心深く、くぐり抜け、杉林の中に分け入った。今までは気付くこともなかったフユノハナワラビがスックと立ち上がっている。姫にしては大ぶりなヒメアオキの葉が艶やかに美しい。

 

 私は届く限りの杉の葉をハサミで伐り、落ちている緑の葉を拾った。今の季節、草木染に使う生葉を求めることができるのは有難い。さらに、少し登ってユキツバキの斜面へ行く。日当たりのいい場所のユキツバキはもうつぼみの先が赤いのだが、この場所のユキツバキはまだ硬い。ついでに可愛いオオカメノキの新芽も頂いていくことにする。暖かい部屋に置いたら、お正月には咲くことだろう。

「早く雪が降るといいね、お父さん」