【わっさな暮らし】丸く、平らに | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【わっさな暮らし】丸く、平らに

2023.12.15

井口 恵(いぐちめぐみ)

長谷川欣さん(昭和18年生 金山町)

トン、トントントントン・・・
心地よいリズムで、次々と豆が丸く平らに潰れていく。
来年もまめまめしく働けるようにとの願いを込めて、12月中に行う奥会津の冬仕事のひとつ、打ち豆だ。

やらせてもらうと、ただ打てばよいというものではないようだ。
まずは豆の状態。前日から、ざっと水を通して乾かす、を繰り返し、後半は豆の表面に浮かぶ細かい皺の状態を確認しながら霧吹きで調整する。
手で押すとほんの気持ち凹むくらいの、思ったよりも硬めが程よい具合。
水分量が多すぎても少なすぎても、豆はきれいに丸く平らに潰れない。
欅の木を加工した台の上で、1回目に軽く木槌を当てて豆を安定させる。
その後、全体が丸く平らになるように更に3~5回ほど木槌で打っていく。
これがなかなか難しい。力が強いとべちゃっと一方向に伸び、慎重に探りながらだと、迷いが正直に厚みのムラになる。
欣さんは、止まることのないおしゃべりと共に次から次に豆を打つ。

「にしゃは、豆でも打ってろ」
5人兄弟の末っ子だった欣さんは、幼少から兄たちの指示で打ち豆担当をしていた。
「一人前になれない頃、一人前に認められない頃、さんざんやらされたんだぁ」
欣さんが生まれた月末に、父親は戦地に向かいそのまま帰ってこなかった。
物心ついた頃から父亡き後の家を手伝い、畑を開墾しそばに芋、窪地で米を作る。
たばこ、蚕、はちみつ、山仕事、和紙漉き、編み物、そして打ち豆。
「働くことだけは絶対困らない。オラなんでもやってんだ。できないことはない」

高校を卒業してから地元の郵便局に就職し、定年まで勤め上げた。
電話交換手から始まり、郵便・貯金・保険すべてに携わり、その営業成績から何度も表彰されたという。
「当時の営業は足で回る。金山町内は全部歩いた。保険や貯金の提案には、家族構成、暮らし方、生活状態、その家のことなんでも知ってなきゃなんねぇ。人生が幸せになるように、少しでも暮らしが便利になるサービスだって、さんざん説明して歩った。今になって感謝してもらえるから、嬉しいなぁ」
今でもその面影を十分に感じさせる、ちゃっきちゃっきの身のこなしと会話のペースだ。
女性の活躍が限られていたであろう時代に、きっと周囲が圧倒するくらいのエネルギーでバリバリと働いていたキャリアウーマンだったのだろう。

25歳でお嫁に来て、茅葺職人をしていた義父、お豆腐屋さんをしていた義母を助けながら、勤めの傍ら畑に田んぼに子育てにと必死だったという。
隣で終始ニコニコと、打ち豆と会話に相槌を打つ旦那さんが、優しく呟く。
「この家は、おっかあがいたからあるようなもんだ。任せっきりだった」
責任感が強くて、自立心も高く、しっかり者で頑張りやさんの欣さん。
私の訪問に合わせて、ベストな状態に豆の下準備を段取りしてくれ、全力で迎えてくれた。
「ちょうどいい塩梅を見極めて、ここぞの時に打つ。気もんでちゃできねぇぞ」

丸く、平らに。
そんなに簡単なことじゃない。
常に周囲を観察して情報を集め、冷静に慎重に状況を見極め、タイミングを逃さない。
「自分の手の感覚を信じて、頃合いを見て打つんだ。生まれながらの“百姓”っ子だから、わかるの」
丸くて平らに、均等に並ぶ豆は、欣さんがまめまめしく重ねてきた頑張りの証拠。
走り続けて今も止まらない、パワーに満ちた打ち豆は、欣さんの元気がもらえる味だった。