井口 恵(いぐちめぐみ)
山口京子さん(昭和26年生 金山町)
むかーしの話だぁ・・・
「ほらほら、おめぇたち何してんだぁ。ちょっこら席さ着いた方がいいべしたぁ」
「席に着きなさい!!」と、やんちゃな子、なかなか落ち着かない子の注意を引くのに忙(せわ)しなくしていると、ふっと、柔らかく優しい声が子供を促した。
「現職で小学校教員をしていた頃、特別授業で来てくれた五十嵐七重先生が語りかける会津弁が本当にきれいで、美しさに背中がゾクゾクしたのよ。耳にすっと馴染んで、心が繋がるのがわかった。子供と七重先生の、距離が蕩(とろ)けたようだった」
その感動がきっかけとなり、教員退職後に金山むかしがたりの会に入ることとなった。
学校の授業で、教科書に沿った知識や技能を教えるのは簡単だ。
「教科書に答えの書いていない、相手の立場になってどう感じるか、どう思うかを考える、『学ぶ力』を育むことが大事で、難しいのよ。心のひだ、ふくよかさっていうのかな」
京子さんは、昔語りにその可能性があると信じている。
昔語りの舞台は、奥山、畑、囲炉裏、水場・・・
リフォームが進んだ家屋と、スマホとゲーム機が当たり前の現代の暮らしでは、身近に感じることが少し難しい場面も多い印象がある。
私も聞いていて、その時代や暮らし方を知らないと解釈できない部分がある。
会津弁だって、しゃべる人も減り、段々と馴染みが遠くなってきている。
「私も学生時代を埼玉の学校で過ごした頃は、恥ずかしくて会津弁を自分で封印したのよ。今は、聞き取れなかったり言葉がわからなかったりするところは、“感じて”もらえればいいと思ってるわ」
京子さん自身は、なんとなく祖父母が昔語りをしてくれた記憶はあるが、子供時代絵本を読んでもらった記憶の方が強く残るという。
「絵本は“絵”が初めにあるから、どうしてもその絵に引っ張られてイメージができてしまう。
でも語りは語る人、聞く人、それぞれが自分の中でその場面を作り上げるから、面白いのよね」
語る人も、聞く人もそれぞれが、作者だという。
ひとつの言葉で表現されたそれは、人によって全く異なる場面が描かれながらも、不思議な時空で一体化したような感覚にもなれるのだ。
京子さんは、語ることが怖くなる物語もあるそうだ。
「物語の流れだけを聞くと、すごく残酷なの。なんでこんな惨い話なのかなって、しばらくおっかなくて、語れなかった」
昔から語られてきた物語の内容は、人としての生き方や道徳についてが多いという印象がある。
しかし、大人になって物語を追求していくと、その裏には、当時、決して言葉や態度にしてはならなかった禁忌の感情のようなものが秘められていたりすることに、気付いたという。
そこには私たちが生きる中での、憎しみ、嘆き、嫉妬、哀れみ、理不尽さのような、ドロドロぞわぞわとした人間臭い感情を、“物語”という別次元の世界に押し込めたものだったりも、するのだ。
「年齢なりの、理解があるのね。大人になって、昔の暮らしや関係性を知ると、そこに込められた深い本音が見えてきたりもする。でも子供って素直なのよ。語りのまま受け取ってくれるから、今はそれでいいと思ってる」
ただただ擬人化した物語を、語りの言葉のまま受け取る。
「今は物語に浸って、心の地面を耕しておいて欲しいの。そしたらいつか、何かが芽吹くかもしれないから。人間性の潤いになってくれればいいなと思う」
感謝、愛、ユーモア、悲哀、意地悪や残忍さ…抽象的なお題を子供にも届くような物語として、現実世界と想像世界の橋渡しをしてきたのが語りなのだろう。
目から入る情報が溢れた現代に、話の抑揚、奥会津金山町独特の方言で優しく語りかけるむかーし昔の物語は、私たちを無限の想像へと誘ってくれる。
ざっとむかしが、栄(さげ)ぇ申した。(おしまい)