【わっさな暮らし】 青い空が見たいから | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【わっさな暮らし】 青い空が見たいから

2023.11.15

                                 井口 恵(いぐちめぐみ)
奥庄一さん(昭和13年生 金山町)
奥キイ子さん(昭和15年生 金山町)

35歳の頃右目に黄斑変性症が発症し、51歳の時には左目にも発症した。
視界がぼんやりと霞み、徐々に、徐々に視力が低下していった。
「見えなくなることが、大きなショックだった。もうダメだと…落ち込んだぁ。あの頃は、何にもしたくない、生きる気力を失っていったよ」。
見えなくなることへの恐怖、不安、絶望…気持ちが塞ぎ、心が閉ざされていったという。
そんな庄一さんを見かねたキイ子さんが、庄一さんを散歩に連れ出した。
毎朝1時間、家の周りをあっちこっち連れて歩き回った。
ぐるっと一回りする間、はじめは蹴躓いて転んでばかりだったそうだ。
「オダマキが下向いて挨拶してる、猫じゃらしがしなやかに深呼吸してる」
草花好きのキイ子さんは、ゆっくりゆっくり見慣れた近所を歩く道端で、足元に咲いている雑草をひとつひとつ庄一さんに教えていった。
「歩くのとかは好きではなかったし、そこらへんに咲いてる雑草も、全然興味もなかった。けど、少しずつ、この花は何だろうって、一輪摘んで帰ってくるようになったんだ」
今まで目にも留めなかった雑草に、ふと心を開いてみようという気持ちが起きた。

視力が低下していく失望の中で、初めて絵にしたのが露草だった。
「見えないから、極力ルーペを近づけて、視点を少しずつずらしながら、よくよく観察する」
露草は身近に咲いているが、“花”としては、実は少し特殊な形状をしている。
「形も色も独特で、おしべとめしべの並び方が美しかった。“花”という概念的にわかっているものだと、つまらない。わからないものを探って描きたかった」
見えにくい、複雑で細かいものほど描きたい心境になっていったという。
「目が見えなくなって、健康な時には見えなかったものが、見えてきた。見えてた時は、見えることが当たり前。漠然としか、見ていない」。
目が見えない。だから、一生懸命見る努力をする。何とか見たい。
ルーペを何枚も重ねて倍率を上げ、焦点を合わせてやっと、やっと、一部分を、見る。
その連続。
「見方を変えて、思いも変わると、今まで気づかなかった発見がいっぱいあった」

ルーペを駆使して観察することもだが、庄一さんにとっては描くことだって大変な作業だ。
焦点距離を合わせることに苦労するため、筆と紙の距離感がわからない。
筆圧調整と筆のしなりを、手の感覚に頼って慎重に筆を落とす。
しかし、一度紙から筆が離れると、二度と同じ場所に筆が付かない。
線描きはいつも、一発勝負だ。
「白と黒の世界の雪景色は、描いていない空間が大事。塗った白は、強さがない。何度も重ねるのも、鋭さがなくなる。迫力がなくて、のっぺりする」
雪の白は、紙の白さなのだ。
影となるところに、黒を一筆で乗せていく。
影だけを加えることで、雪の白さ、深さ、重さを引き立てる。
「一筆書きが、一番強い」
あぁ、何と勇気のいることだろう。
書き直しも、重ねることもせず、自分の一筆を信じること。
もしかしたら、視力の問題ではないのかもしれない。
庄一さんが丹念に観察し、見えた世界は、私がばっくり漫然と見てるその景色より、より鮮明で、くっきりとした迷いのない輪郭を持っているのかもしれない。

平成22年1月発行 詩画集「青い空が見たいから」

当たり前に「見えること」に、甘んじてはいけない。
目の前に広がる世界は、きっともっともっと雄大で深遠だ。
意識を向けて、心の目を凝らせば、見えていなかったたくさんの感動と出逢えるだろう。