井口 恵(いぐちめぐみ)
角田亀好さん(昭和17年生 三島町)
角田光子さん(昭和19年生 三島町)
「会津で一番のタバコ農家になる」。
「親がタバコ栽培してて、手伝わされた。親父は戦争帰りだからすごく厳しかった。眠ったい時も手伝わされて、ものすごく嫌でなぁ」。
お父さんが48歳で亡くなってから、亀好さんはしばらくタバコ栽培から距離を置いていた。
「しばらく生活に困ることなかったから、1回止めて、遊んでたんだ。けーど、なんとなく張り合いがない。これではダメだと思った」。
そんな時、光子さんとの結婚が決まった。
「お母さんと出会って結婚できたから、覚悟が決まった。所帯を持つと、責任感とやる気で気が引き締まった。目標は会津で一番のタバコ農家になること。目標があって、二人でやってるから、思うように就農できた」。
タバコ栽培を始めて7年後の30歳の時、福島県農業賞を受賞し、その後も数々の賞を取り、福島県中から視察が来るほどだった。
「自分は運がいい。周りもいい人ばかりで、みんなに助けられた。親父が亡くなった後長男として、兄弟8人をみんな見送った。あの頃はくたびっちゃな」。
そんな思い出を、清々しさに満たされた笑顔で語ってくれる。
先輩農家からも注目される中、町内では圧倒的な生産量で目標を達成した。
「ちょっと別なことやりたいな」。
昭和60年頃からタバコに代わるものをあちこち探し歩く中、種苗会社が持ってきた1本のカスミソウの苗と出会い、すでに栽培を始めていた昭和村に勉強に行った。
「今まで花なんて知らなった(興味がなかった)から、名前もわからないし、苗を見たこともなかった。勉強会行っても、何しゃべってるか全然わからなかった」。
試しに作ってみても思うようにいかず、5~6年は高温障害で大変だったという。
「始めたからには絶対やってみようと決めた。途中でやめるなんてことはしたくなかった。迷うってことは絶対ダメ。少し他の花やったりしたけど、やっぱりカスミソウはやめたくなかったな」。
6月~10月まで、カスミソウはシーズン中に何回も植え付けて、何回も収穫する。
「1年で同じことを何度も繰り返せるから、勉強できる。自分なりに色々やってみて、失敗してみるのが一番近道」。
暗い中私用で外出する前も、暗くなって家に帰る前にも、必ず畑に寄ってその日の状態を確認した。
最盛期には50棟前後のハウスで育てる、三島で一番大きなカスミソウ農家になった。
今年は、調子が悪くてしばらく畑をお休みしていた光子さんが畑に戻って来た。
「私昔から体が弱くって、体育の授業はほとんど出られなくて、見てるだけだった。間違っても農家はできないって言われてたし、思ってた。けど、不思議ねぇ」。
一言目には「ありがとう」、二言目には「恵まれてるなぁ」とほほ笑む光子さんを変えたのは、強い意志で懸命に畑に向かう亀好さんだ。
「やっぱり畑にひとりでいるのと、ふたりでいるのは違うなぁ」。
もうすぐ開花が始まるカスミソウ畑では、お互いを信じ、感謝して、思いやるふたりの姿に何度も出会った。
穏やかで優しい空気の中、「絶対」「一番」と力強い言葉で思い出を語る亀好さんからは、揺るぎない決意と、ずっと変わらない希望が伝わってくる。
これまでの輝かしい功績は、亀好さんと光子さんの二人三脚による弛まぬ努力の結果だ。
そして今、話しているだけで心が緩むふたりの柔らかさは、きっとこれまでの強い意志と執念が育んできたものなのだろう。
安らぎと緊張感が併存した、これまでの生き方が滲み出るような二人。
今年も、儚げに生命力溢れる純白のカスミソウは、亀好さんと光子さんが重ねてきた努力の数だけ、たくさんの可憐な花を咲かせる。