【わっさな暮らし】深い藍を伝えたい | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【わっさな暮らし】深い藍を伝えたい  

2023.10.01

井口 恵(いぐちめぐみ)

澤田けい子さん(昭和24年生 南会津町)

艶やかさはないけれど、親しみのある色。
「煌びやかなものよりも、濃淡と色味が奥深い藍の色が好きなの」。
藍染保存会の澤田けい子さんは、奥会津博物館開設時に学芸員として働いていた当時から、何としてでも南会津の藍染文化を残したいとこれまで活動を続けてきた。

 蓼藍と杉原染屋

藍染は江戸時代中期から南会津町で始まり、昭和10年代には10数軒ほどの染屋さんがあった。
その中の1軒、杉原染屋さんが廃業する際、茅葺屋根の趣のある古民家を藍甕ごと奥会津博物館に移築した。
けい子さんは、最後に残った職人芳賀文助さんに指導を乞い、ゼロから藍染について学び始めた。
「文助さんは根っからの職人気質の人。堅気で言葉数も少なくて、見て覚えろが当たり前だった。余計なことは一切しゃべらないから、解釈して言葉に起こして、こうですかって聞くのも大変だったわよ」。
そんな朴訥とした文助さんがいたから南会津の藍染を残すことができていると、けい子さんは終始嬉しそうに文助さんとの思い出を語ってくれる。
「教えてくださいってしつこくしょっちゅう家に通っている頃は、『こいつも2年もやれば終わりだな』くらいに思ったみたいなの。それが、『おめぇとこんなに長い付き合いになるとはなぁ』って。全然しゃべらなかった文助さんが、最後の頃にはすごく柔らかくなって、藍染体験に来る人に冗談言ったりして笑うようになったのよ。家族からも、藍染指導する機会をもらって本当に良かったって感謝されたわ」。
最後まで藍染指導に力を入れ、文助さんは2年前に90歳でお亡くなりになった。

 

田島祇園祭衣装

南会津町田島地区では、毎年7月に国の重要無形民俗文化財に指定された田島祇園祭が行われる。
800年以上前から継がれる伝統行事で、祭礼の際男性は裃、女性は藍染の着物を身に着けて
いた。
「日本一の花嫁行列」として、現在では色とりどり華やかな花嫁衣裳を身に着けた女性たちだが、かつては単色の藍染着物だったそうだ。
この祇園祭があったおかげで、南会津では藍染が続いてきたのだ。
「昔は染屋も農家と兼業が当たり前だったからできたのもある。神事やお葬式で着物や裃を着る機会も減って、藍染だけでは食べていけないから、段々染屋の数も減って衰退してっちゃったのよね」。

現在奥会津博物館では、文助さんから教わったままの昔からのやり方を守っている。
藍の建て方(発酵させて染液を作ること)も糊の作り方も、“南会津のやり方”を伝承していきたいという。
江戸から明治時代にかけて国産の藍の生産は最盛期を迎えるが、大正時代以降は輸入した化学的な合成藍が主流となり、現在は合成藍と徳島から仕入れる蒅(すくも)(藍の生葉を発酵させたもの)で藍を建てている。
蒅に灰汁と石灰を混ぜ、藍甕の中に二人入って半日以上踏み続けることで、水分と合わさって細かくすり潰される。
生活環境が変わったこともあり、今では藍を発酵させるために使用する灰汁を手に入れるのも大変になったという。
藍甕は一般的には陶器(土)が多いが、南会津の藍甕は石でできているため一度温めると冷めにくい。
「いくらやっても良かったがないから、面白い。その日の天気、湿度、気温、タイミングやちょっとの時間差で毎回出てくる色が違ってくる。同じ色なんてないから。完成イメージもないし、終わりもないのが、藍の面白いところだと思うの」。

長い間大切に継がれてきた田島祇園祭と、この地の暮らしに根差して染められてきた藍色。
幅広い濃淡の、どれもが味わい深い美しさを見せる藍の世界は、これまでの、これからの南会津に生きる人たちが織りなす色合いなのだろう。