菅家 洋子(かんけようこ)
1月15日午前10時(正式な日にちは16日。都合によりこの日になった)、「観音講」を行うため、集会所にオナゴテイ(女の人たち)4名が集まった。私にとっては、初めての観音講。
まず、観音さまの掛け軸をかけ、床の間に、それぞれ持ってきた一品料理を並べた。そしてさっそく、観音講ならではの食べ物、「オカラク」をつくる。団子粉をこねるとき、通常は熱湯を使うが、「オカラク」を作るときには「ぬるま湯」なのだという。冷蔵庫の上に置いてある「ヒキバチ(木製の大きな器)」を下ろし、そこに粉を開けた。この「ヒキバチ」は、大芦の木地屋集落、畑小屋に暮らしていたマタイチさんが作ったもの。昔、クマが獲れたときの宴でクマ汁を作ったテルコさん。テッポウブチ(猟師)だったマタイチさんに味見をしてもらい、「甘いかしょっぱいか、なじょだ(どうか)」と聞くと、「甘くもねぇしょっぱくもねぇ、いい味だ」と言われたこと覚えてる、と思い出を聞かせてくれた。
フミヨさんが、生地をこねる。その手つきのきれいなこと。私がそう言うと、「フミはなにやっても上手なだ」と姉さまたち。ソバ打ちも、草もち(ゴンボッパ)作りも、栃もち作りも。生地がまとまったら、形をつくる。手の中で転がして丸くしたものを平たく押して、なかを窪ませる。これが「オカラク」のかたち。観音さまに、7つお供えした。オオマタ集落は「オカラク観音講」。奥会津では他に「イモ観音講」「マメ観音講」というのもあるそうだ。
今度は「ウタヨミ(唄詠み)」。このとき、唄の拍子をとるための鐘を打つ役が、一人必要になる。毎年打つ人は決まっていて、義母のミヨコさんや昨年亡くなった姉さまがその係だったらしい。みんな自信がないと言って、なかなかやりたがらない。「ただ鐘を打つだけ」とは言えない大役なのだなと思う。結局テルコさんが引き受けてくれ、ウタヨミが始まった。
唄には独特の節がついていて、音程も取りづらい。私はミヨコさんから借りてきた歌詞が書かれた帳面を見ながら、一生懸命ついて唄った。途中テルコさんが、「あ、トウミョウ(燈明)つけて線香立てるんだったな」と思い出し、そのようにした。会津三十三観音の御詠歌、当然ながら三十三番まである。それをなんと、合間にひと息いれながら1時間近くをかけて、すべて唄い切った。人数も減って、小さくなった観音講。正直私は、最初と最後の数番ずつを唄って終わりになるかと思っていた。そんなわけにはいかない、観音講を全うするため、じりじりと唄詠みを続ける姉さまたちの心意気に、私は驚き、感心した。観音さまと長く深く付き合ってきた姉さまたちと、「オカラク」を一番の楽しみにしていた私にとっての「観音講」はまったく別物だと、自分の浅はかさを思った。来年は御詠歌を堂々と歌えるように、ミヨコさんに教わって、練習しようと思う。