須田 雅子(すだ まさこ)
なんとなく始めた通信大学も、旅が伴うスクーリングは順調に単位が取れたが、テキスト科目がなかなか進まない。「卒業なんてとても無理。このままやめてしまおうか」と、だんだん弱気になっていく。
会社勤めにも大学にも行き詰まりを感じるようになっていた頃、昭和村の道の駅で目にした「からむし織」の素朴な布が、白昼夢のように脳裏に浮かぶことがあった。そんなとき、からむしの布は光に透けていて、私はぼんやりと思うのだった。「あの自然豊かな村で、“織姫”と呼ばれる女性たちは、村の人たちと触れ合いながら、楽しく過ごしているんだろうなあ。それに引き換え、今の私の頼りなさときたら…」。生命力が萎えていくのをどうしたらいいかわからずにいた。
「地域学」のスクーリングでお世話になった中路正恒先生のもと、大学の学生や卒業生数人で、2011年から毎年、中秋にお月見会をするようになった。北海道の二風谷や伊豆大島など、先生が決めた土地に出かけて、その風土に身を置く。2014年は9月に沖縄本島に近い久高島に行くことになった。久高島は、琉球創世神アマミキヨが降り立ち、国づくりを始めたといわれる「神の島」だ。
久高島に行く前に都内でお月見仲間と食事をしたとき、いつまでも頼りない私を見かねて、先輩二人が「須田さんを卒業させないわけにはいかない」とタッグを組んで、励ましてくれた。
久高島では、島の「十五夜祭り」を見学した後、徳仁港近くの公園でお月見をした。解散後、先生方3名を含む6人が残り、ピザ浜で打ち寄せる波と夜空の月を眺めていた。
月が中天にかかった頃、中路先生が私に「須田さんはどうもスッキリしないようだね」と言った。私は「そうなんですよ」と情けなく答えると、腕にしていたパワーストーンのブレスレットを名月に掲げて「私を何とかしてください!」と願った。
すると、さすがは「神の島」久高島で、翌朝から何かが動き出した。