須田 雅子(すだまさこ)
南会津町南郷地区、駒止バイパス沿いにある「ゲストハウス・ダーラナ」。夕食を終えた頃、ご近所の平野克己さんがレストランにふらりと顔を出した。克己さんはダーラナにお客さんがいると、立ち寄って話をしていくのだそうだ。
この日も、「うちの先祖は旧峠の馬車引きの棟梁だった。だから、“アガットバタ”って言うんだけど玄関が長い。田島の方から背負子(しょいこ)が旧峠歩いて越えてきて、“よっこらしょ”って腰を下ろして一服する」と語り出す。
翌朝、お宅を訪問した。長い年月、磨かれて床が黒光りしているオメエの玄関が横に長い。克己さんの義母の平野ヤスエさんが、「普通の家の玄関と違うでしょう。馬の運送会社だったもんで」という。
調べてみると、『南郷村史』第5巻(南郷村史編さん委員会 1998年)に、「明治十年代の駒止の運送は、東(元入小屋)の平野八十八宅で運送会社を行っていた」と書かれている。平野八十八は、ヤスエさんのご主人で昨年亡くなられた八十次さんの4代前の当主だ。
イギリス人女性紀行家イザベラ・バードが、日光を経て、会津街道を北上したのが、戊辰戦争から十年目にあたる明治11年(1878年)だから同じ頃だ。バードが目にしていたような藁沓を履いた馬たちが、東から針生に通じる駒戸峠(※)を越えて、伊南川流域の名産の麻など様々な産物を運んで行った。
(※)明治期までは「駒止」ではなく「駒戸」の表記あり
『南郷村史』第1巻(南郷村史編さん委員会 1987年)によれば、只見、伊南、田島を結ぶ交通の要所である山口から駒戸峠を越えて田島に至る道は、「江戸海道」と呼ばれる主要交通路だった。ダーラナや平野家のある東(あずま)の辺りは、人馬が行き交い、相当な賑わいだったことだろう。
今や馬の存在などすっかり忘れられてしまったこの道沿いに、「ゲストハウス・ダーラナ」がある。ダーラナの建物は築150年を超える曲家で、厩だった部分をスウェーデン風のレストランに改装している。玄関前やレストランなど、いたるところに木彫りの馬「ダーラヘスト」が置かれている。
ふと気づくと、ヤスエさんの後ろにも木彫りの馬が飾られていた。娘の恵美子さんと克己さんが結婚した時のお祝いに、「ゲストハウス・ダーラナ」のオーナーの大久保清一さんが贈ってくれたものだという。
馬とともに暮らしてきたスウェーデン・ダーラナ地方の人たちの民芸品「ダーラヘスト」は、幸運を呼ぶ馬だという。遠い北欧の地で愛されている馬のオブジェが、馬が盛んに往来した南会津町東地区の道沿いにあることの不思議な縁。耳をすませば、馬のいななきが聴こえてくる?かもしれない。