井口 恵(いぐちめぐみ)
五十嵐紀美子さん(昭和9年生 三島町)
三島町早戸地区には、“神々の道”といわれる道筋に、約30の石祠が集落を囲むように建てられている。
20人にも満たない集落に、こんなにもたくさんの神様が、ひっそりと鎮座している。
早戸にお嫁に来て70年になる紀美子さんと一緒に、カタクリの花で敷きつめられた神々の道を歩いた。
道中は切り立った岩場斜面に大きな石がゴロゴロしていたり、薄暗い杉林の中だったり、なぜだか神様は少し危ないようなところにばかりいらっしゃる。
「ここは昔石切り場だったり、あっちの杉林は畑だった。あの斜面は茅場だったし、焼き畑したりもしてたんだ」。
なるほど、神様がいるところは、どこもかつての暮らしのすぐ隣なのだ。
他の神様たちも、集落からちょっと離れた、山の斜面に建っているものが多い。
「嫁に来てから聞いた話だけんど、ずっとずっと昔、早戸で大火が2回あって、集落のほとんどが燃えちまったそうだ。んだから神様を守るために、みんな家から離れた高いところに居るんだと」。
早戸は山の斜面にある小さな集落だ。
限られた土地では田んぼも畑も厳しく、貧しくて度々飢饉に見舞われた歴史がある。
「神様や仏様にすがらないと、生きていけない状態だったんじゃないかと思うんだ」。
どの石祠も神社のような立派なものではなく、風景に同化してしまいそうなほどの小さな小さな祠がひっそりと佇む。
かつてこの地域は石工がたくさんいたようで、住民がそれぞれ、自らの願いを託して自分たちで造った神様らしい。
家族やご先祖様の健康長寿、安全祈願、疫病除け、病気治癒、子供の成長…
風化が進み、一見石を立てただけのような簡素な神様も、できる範囲で、最大の願いを託して、細々と守り信仰してきた神様たちだ。
「頼って信じるものがあるから、強くなれた。何か起きると、何かにつけて神様のこと思い出すな」。
「ご先祖様が拠り所にしてきた神様を、大切にしななんねぇ。でもな、みんな歳とってきちまって、今では集落で管理することも難しい。1年に1回『神々の道刈り』って言って、下草刈るのですらやっとだ」。
大きな病気や事故があったりしてご先祖様が神様を作ると、その家々で代々守っていくことになるという。
しかし、時が経つことでその神様の存在や信心も移ろい、それを守りつないでいくことが負担になってくるという面も見えてくる。
「外の人が来て、町が目を向けてくれるようになったから、こうやって整備された。それまでは、たーだそれぞれの家や集落で拝んでただけ。ここにも祠があったよう気がすんだよなぁ…。ちょっくら来れないから、知らないうちに影も形もなくなっちまう神様もいる」。
急斜面に立ち並ぶ神様に足を運ぶことすら難しく、詣でる人も数えるほどだという。
紀美子さんが一番良く行くのが、火伏や豊作、村内安全の神様、古峰ヶ原様(古峰神社)だ。
「古峰ヶ原様には生卵を一つ持って行って、先にあげたのと交換で一つ持って帰ってくるの。当時は卵は栄養豊富で貴重なものだったから、大事な神様にお供えしたんだ」。
いくつかの神様を一緒に歩く途中、紀美子さんは度々リュックからお菓子を出し、お供えして手を合わせる。
「石祠のお地蔵様に願い事込めて帽子やちゃんちゃんこ作ってな、着せに行ったのよ。今日もようよう来れましたって、うれしいなぁ」。
神様に守られ、神様を守り続けるという関係。
穏やかで健やかな暮らしの隣には、いつもたくさんの神様がいらっしゃる。