【奥会津探訪】 大芦ダイモチ引き木遣り | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【奥会津探訪】 大芦ダイモチ引き木遣り 

2023.07.15

須田 雅子(すだまさこ)

 橋や家屋の大黒柱にするために、山から伐り出した大木「ダイモチ(発音:デーモチ)」を大勢で引いてくる様子と、引きながら唄っていた労働歌を民俗芸能として保存している昭和村大芦集落の「ダイモチ引き木遣り」。

 写真のダイモチの上で幣束を振っている唄い手(木遣)は、五十嵐喜久男さん(昭和33年生まれ)だ。父、唯一(ただいち)さんが、油絵作品《山の祭り》に込めた想いを、今、息子が「大芦ダイモチ引き木遣り保存会」の会長として受け継いでいる。

 重量約4トンというダイモチを引く時の木遣り唄は、唄うのが好きな人たちが即興で唄っていた。そのうちの一部が保存会に残されている。

「大芦ダイモチ引き木遣り」

 唄い手 ヨイトーヨイトー ヨイトーヨイト
   前列 ヨイショ 後列 ヨイショ
   前列 ヨイショ 後列 ヨイショ
 唄い手 ヨイトーヨイトー

 唄い手 これは誰の宝だ。
   囃子 ホーイ
 唄い手 爺どん婆の宝だ
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 唄い手 やーれ 若い衆引いでくれー
   囃子 ホーイ
 唄い手 この坂越えれば酒を出す
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ

 全員 ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ
 唄い手 ヨイトーヨイトー

 唄い手 やーれ 若い衆引いでくれー
   囃子 ホーイ
 唄い手 晩には十七抱かせるぞー
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 唄い手 十七八が嫌なれば 三十五六のかかさんをー
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 唄い手 三十五六が嫌なれば 七十婆様を抱かせるぞー
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ

 唄い手 やーれ 若い衆引いでくれー
   囃子 ホーイ
 唄い手 やーっといって引いでくれー
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 全員 ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ
   (上の青字部分は現在唄われていない。)

 唄い手 ヨイトーヨイトー

 唄い手 これより申し上げまするー
   囃子 ホーイ
 唄い手 芸題(げだい)は古く候(そうら)えど 一ノ谷の物語
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 唄い手 そもそも熊谷直実は
   囃子 ホーイ
 唄い手 征夷大将 源頼朝公の身内にて 関東一の旗頭
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ

 唄い手 さてもさんぬる六日の夜、夜がほのぼのと明ける頃 浜辺をさして落ち延びる
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
 唄い手 これを見てとり熊谷は
   囃子 ホーイ
 唄い手 扇を持って打ち招く 駒の騣(たてがみ)とり直し 波の打ち間を二打ち三打ち
   囃子 ホーイ
 唄い手 互いにしのぎを梳れども いつかは果てぬ両雄姿
   囃子 ヤーニコレワサ ヤーコノサンノサンノ
   囃子 ヨイショ ヨイショ ヨイショ ヨイショ

 令和の世では放送禁止になりそうな歌詞も含まれるが、昔の労働歌というのは、疲労でくたびれてきた頃に下ネタを唄に盛り込み、元気を取り戻させる工夫がされていたと、所は違うが沖縄県の八重山地方で聞いたことがある。

 そして、ここにも熊谷直実が登場する。檜枝岐歌舞伎の演目の一つでもある「一之谷嫩(ふたば)軍記 須磨浦の段(二段目)」のシーンだ。熊谷直実と平敦盛の物語は、よほど庶民の心に響き、親しまれてきたのだろう。大芦のダイモチ引き木遣りでは、「八百屋お七」なども唄われていたという。

 善悪の二項対立で単純に割り切ることのできない人の業縁、そして無常観が込められた物語が、一昔前まで人々の心をとらえていた。