【奥会津に暮らす】「三島町へ」 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津に生きる

【奥会津に暮らす】「三島町へ」 

2023.06.15

渡部 和(わたなべかず)

 結婚を機に、3年住んだ昭和村から三島町に移った。同じ奥会津といっても言葉も人の気質も違った。何より、一人で気ままに暮らしていた頃と、家庭を持ってからでは、地域との関わりの深さがまったく異なった。一人のときは回覧板も回ってこなかった。地域の人たちが担っている様々な役割も、私には何もない。いつ帰っていくかわからないのだから、お客さまのような扱いだったのだろう。
 結婚してまず住んだのは、夫の実家から離れた別の集落だったが、地区の集まりはもちろん、お葬式の手伝いも声がかかった。夫の実家の地区でも何かあれば参加し、「渡部家のお嫁さん」として役割を果たすことが求められた。
 家庭をもったからだろうか、よく人が来た。このあたりでは日中、家にいるときには鍵をかける習慣がない。2階にいて気づかず、下りたら近所の人が居間のこたつにあたっていてびっくりしたこともある。「お茶のみ」によんだりよばれたりといった習慣にも慣れず、仲間に入れてくださる地域の人の親切をありがたく思いつつも戸惑った。
 留守の間に、伸び放題だった草がきれいに刈られていたときには呆然とした。花盛りの野草をあえて残しておいたのに。ひとの家の草を刈るということは、ここでも普通はしない。ほったらかしのわが家を見るに見かね、作業が大変だろうと親切心から行われたことだろうと今は思う。草を放っておけば虫が出るしヘビの棲みかにもなる。近所に迷惑がかかるのだ。
 草が財産だということも知った。畑に敷いたり、肥やしにする。土地の上と下に家があれば、斜面に生えている草にもそれぞれの取り分があった。細かい約束事を決め、互いに守ることが、先祖代々住み続けてきた集落を保ってゆくのに大事なことなのだと、ここに暮らすうちにだんだんわかってきた。
 夫との気楽な二人暮らしで、私は染織や編み組細工など、ものづくりを存分に楽しんだ。また、近所のおじいさんから土地の歴史を聞かせてもらったり、古くから受け継がれている神仏を訪ねたりした。土地の話を記録する面白さは、この頃に覚えたことだった。