【オオマタ暮らしのたより】 早い春 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【オオマタ暮らしのたより】 早い春 

2023.06.15

菅家 洋子(かんけようこ)

 私が暮らすオオマタ集落の桜が咲いたのは、4月20日を過ぎたころ。いつもより二週間早かった。この冬は浅雪で、畑の雪も大きな岩山の下以外は、あっという間に消えてしまった。こんなに春が早かったことは、今までにないように思う。
 そんなある日、山水道の水が細くなった。山水道というのは、「ソデキボウ(ソデクボ)」という名前の沢から、我が家と隣家が共同で引いた水道。家にはもうひとつ、村役場によって整備された簡易水道がある。山水道は、雨が少ない真夏に出なくなったり、落ち葉などが詰まったりすると細くなる。
 90歳の義父セイイチさんは、沢をしばらく上った先にある、水をろ過し貯めている場所を掃除しに出かけた。しばらくして「今年は水不足になるぞ」と言いながら帰ってきた。水はあまり貯まっておらず、周囲の雪ももう溶け切っていたとのこと。雪解け水のどんどんくる春先に沢の水が少ないというのは、これまでに覚えがないという。なんだか不安になってきた。水が豊かにあるという安心感は、とても大きなものだと改めて思う。
 私は、「ソデキボウ」を見下ろす場所に建っている水神さまに、お参りに行くことにした。義母のミヨコさんに話すと、「オハチ」と呼ぶうるし塗りの高坏を出してくれた。私は白いご飯を乗せたオハチを持って、家を出た。水神さまは、今は引っ越した隣家の親戚が建てたもので、その家が管理をしていた。12月1日が水神さまのおまつりの日、昔は「カワビタリモチ」といって、ついた餅を川にあげ申した。「コメラ(子ども)のころ、餅を木の枝に刺し、川に浸して食べた」という思い出話を聞いたことがある。お護符をいただくということだろう。

 水神さまは、家から歩いてほんの数分の場所。足を運ぶ人も少なくなって、道の跡は見えづらくなっている。少し急な斜面をあがり、水神さまの社の前まで来た。近くに生えている笹の葉を一枚とって、その上にオハチのご飯を移し、お供えする。「今年も、暮らしと畑に必要な水を分けていただけますように」とお祈りをした。社のなかには、時が経ち風化した木綿の旗が数枚残っている。そこに一緒に下げられている、糸の束。こちらは全く朽ちることなくある。今は亡き、隣家のおばあさんが作った糸だろうか。話に聞いたことがあるだけで、私は会ったことのないおばあさん。その存在が、今もここにしっかりと残っている。

 お参りのあと、数日前の強風で家の前の滝谷川に飛んできていたゴミを拾った。護岸工事がされた川に下りるのは簡単ではなく、ハシゴが必要だった。夫のヒロアキさんが下りてくれて、私は上でゴミを受け取る係をした。

 いつも眺めている川の痛んでいるような姿を目にするのは、思う以上に苦痛で気が重いことだった。その場所に暮らして、水に、土に馴染んでいくと、自分は自分の体だけでなく、そこからはみ出して広がっていくのかもしれないと思った。水もいつの間にか自分の一部で、水が汚れれば、自分も息苦しくなる。セイイチさんが、誰に頼まれなくても集落の手入れをするのは、こういうことなのかもしれないと、ふと思った。