子どものころの川との記憶を訪ねて (21)資料編3 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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子どものころの川との記憶を訪ねて (21)資料編3 NEW

2026.04.15

菅家 博昭(かんけひろあき)

『阿賀野川の川漁』(新潟市・阿賀に生きる製作委員会、1991年)の56ページから、佐藤真氏による「聞き書き「川漁でにぎわった頃」」が掲載されている。話し手は新潟県東蒲原郡鹿瀬町中央の長谷川芳男氏。

<往事の川漁の話>
昔の阿賀の流れ
 いまの阿賀は、ちょいちょいあっちこっちに発電所があって、水が減ったども、昔は荒れ川だったんさね、この川はね。
 いまは、素人でも、櫓で漕いでも上られるわね。昔は一人ではなかなか上れなかった。よっぽど慣れた人でねえとね。ガンガン、ガンガン、川の水があっちの岩サぶつかり、こっちの岩サぶつかりしてね。
 この上(かみ)の方サいくほど、川幅が狭くなるんさ。そうすっと、沖も岸も一体になって、ガンガン水が流れて、ミトナカ(水脈)なんて、絶対上らんねえ。岸の方でも、二人して棹さして、やっと上るくらいなもんだ。
 漁法はいろいろあるね。釣り以外は、何でもやった。叉手(さで)漁、刺し網、投網、筒、延縄、夜突き、サケの鉤(かぎ)流し、置き針・・・・・。
 釣りはしたことねえ。沢々で釣りかたするのは、ありゃ道楽だこて。あんなんは、たくさん釣る人でも、まあ日当分ぐらいになるか。獲っても、一日で50匹か60匹でしょ。道楽仕事はしたことねえ。暇ねばできねえもんね。
 水が澄んだ時、高いところに登って見てっとよく分かるが、魚ってやつは、たいてい、小さいのは小さいの、大きいのは大きいのでそろって上ってくる。上りはじめると、行列をつくって上ってくる。上りはじめると、行列をつくって上るんさね。

 コイは1枚、2枚っていうがね、5枚でも100枚でも、そろって歩くんさ。なん魚でもそうさね。
 サケってのは、夜はあんまり騒がねえ魚だね。卵ぶつ時分になれば、自分の子可愛いから夜でも騒ぐども、そうでねかったら夜は騒がねえ。川上るのに、サケは絶対夜は動かねえ。昼間だけだね、サケは。
 ところがマスはバカだから、夜でも昼でも上る。そんでよく獲れるんさ、マスは。
 ヤツメ(ウナギ)の場合、目見えるから、昼間はあんまり上らねえ。大水で、水が濁ってっ時は、昼間でも獲れるどもね。網を見っと、すぐに、サーッと逃げてしまう。なかなか敏感な魚なんさ。

 「滝」で魚をすくう
 なん魚でも、魚の上るところがあるわね。それをこの辺では「滝」っていうんさ。滝っていうと、日光の華厳の滝とか、ザァーッと落ちてくるのをふつうはいうでしょ。この辺りで滝っていうと、川中に岩があると泡波がたつ、泡波のとこは、必ず澱(よど)みになってる、そういう所を滝っていうんさ。滝は魚が上るのに困難なわけだ。そんでも魚はそこを上らねえとなんねえ。魚は、この澱みにいて、頃合見てスッと上るんさ。サケでもマスでも、なん魚でも一度上りだすと、どんどんどんどん、休みなしに続いて上っていくんさ。ヤツメなんて、口の吸盤で岩に吸い付いて澱み、澱みに休んでいる。一本先頭が上れば休みなしにどんどん続く。そん時に、叉手網で休みなしにすくうわけさ。

(略)
<サケとり※の話> ※漢字、本文中は獲りと記載
 勘の強い魚
 サケは勘の強い魚だからね。水濁ってても、網の目んとこへ、ちょこっと鼻先触ると、サーッと下ってしまう。水の澄んだ時は、もう網なんかでは獲れねえわ。
 サケにも種類があるんさ。ワセは早いね。9月の中頃からだ。800匁から大体1貫目ぐらいまでだ。それから10月になっと、ナカ。1貫300匁から2貫ぐらいまでだね。それからオクテっていう、でけえの来るンサね。2貫目から2貫目800匁。まあ11月から12月はじめまでだね。

 夜突き
 ワセのうちは、上るばっかりで産卵はしねえんだ。夜突きっていって、夜カーバイトのカンテラをつけっとサケがよってくるでしょ。それをヤスで突くんさ。
 マスはバカだからね。カーバイトの光に惑わされて、何遍も何遍も廻ってっから、そこをヤスで突く。ところがサケなれば、そうはいかないわね。一度は光に迷って来っけど、一度きり廻ったらすぐスーッと逃げていくんさ。
 マスだったら、背骨出すくらいの、水面から3寸か5寸のとこ寄ってくるどもね。サケは寄ってきても水の下2尺か3尺くらい、へたすると5尺ぐらいのところにいる。

 青ビカリしてサケだか魚だか分かんねえくらいだわね。目慣れねえと獲れるもんでねえ。
 サケの逃げるのまた早えェこと、サァーッとね。マスみたいにゆっくりしてねえからね。
 はじめはヤスでもってバァッと突いても、石さガチャンガチャッて当たってね。慣れれば百発百中、狙いつけたら必ずだ。それも昔は袋ヤスなんかねかったからね。いまのは袋ヤスっていって、刺さるとヤスがはずれて糸ついてて魚遊ばせられるようになってるわけさ。昔はそんなのねかったね。
 ヤスでも薄がかりのヤツあるんさ。それからシッポ。なんぼ500匁の魚でも、シッポのとこさひっかかったら暴れが強いわね。ガバガバってひでえ騒ぎだ。そういう時は、へたにすっと切れっから、まず魚を遊ばせといてね、魚のなりにしておいてだんだんと岸の方に顔を向けるようにしてあげるんさ。
 へたな人は無理に引っぱる。ガボガボッてあんまり騒がせっと、獲れる魚も逃げてしまうんさ。
 だから、商売に慣れた人の魚獲り、普通の人だと、ガバガバって魚騒いで、アッ獲ったなって分かっとも、その道に加わって何十年もした人は、カポッともいわねえであげっからね。手も早えェし、傷も少ねえ。頭のところ突くとカポッとも動かねえ。夜、まあみんなで交替交替にやるわけだども、小屋の中に寝てたってカポッとも音しねえ。ところが朝げ起きてみると、30本も40本も並べてあったりするわね。

あとがき
 『奥会津の縄文』(2023年)、『奥会津の冬』(2024年)に続き、本年は『奥会津の川』について奥会津7町村で企画展を開催するという。生まれ暮らす昭和村の大岐(おおまた)は家のすぐ前が滝谷川で何度も洪水の経験をしている。あらためて川について考えることとなったが、奥会津博物館の渡部康人さんが本稿にあるような文献資料や川を使った木材の流送について史料を発掘しながら優れた論考を書かれている。
 私の川についてのことを書くとすれば、2025年1月~5月までの間に、いま生きている奥会津に暮らしてきた人たちに直接会い、その人たちの川の思い出・記憶を記録に残す、聞き取り調査が私の役目であろう。それを本書事務局や編集担当の渡部康人氏に承諾していただき、不足するところは過去の聞き取り調査記録や文献などで補うこととした。一部の地区については不在や死亡により取材ができなかった。
 このことにあたり、『奥会津の縄文』の調査時に、土器石器の時代鑑定や多くの助言をいただいた喜多方市塩川町の芳賀英一さんにも相談し、有意義な助言とご自身が収集した関連史料・関連図書を借用した。あらためて芳賀さんにも1稿を書いていただくことを編集担当の渡部さん、事務局に了承していただいた。考古学者として福島県文化センターに就職し福島県内の遺跡発掘を担当し、白河のまほろん、福島市の県歴史資料館勤務等の経験ご定年退職された。その後、ライフワークの会津の調査をされているなかで倒れ、半身が不自由な状態になった。しかし左手で原稿をタイピングし、不屈の意志を抱えておられる。
 会津学研究会が2004年10月に三島町(奥会津書房内)で設立されてからは顧問の赤坂憲雄さんが、現在まで、奥会津を歩く事業等を通じ、奥会津ミュージアム館長としても様々な助言を受けている。多くの皆様に、感謝します。
 冬春の人々の聞き書きでは、「奥会津の自然とは、子どものころの川のことである」というのが結論である。