菊地 悦子(きくちえつこ)
以前、会津地方に伝わる民話伝説を調べていて、『五十嵐家の伝説』という話を見つけた。五十嵐の姓は、新潟県三条市にある五十嵐神社にルーツを持つといい、奥会津に多い五十嵐さんたちは、そのご子孫らしい。伝説は、鎌倉時代に活躍した、五十嵐小文治という武将が、蛇神の子として誕生するまでの物語である。
驚いたのは、これとそっくりな物語が、沖縄の宮古島では、島の創生にかかわるとても重要な神話として、最高位のウタキ(聖域)に残されているということだった。
ふたつの伝説と神話は、ただ、最後だけが違っていた。蛇の子として生まれた小文治は、成人して勇敢な武将になるが、島の神話では、生まれた子どもは女の子が三人。三人は三歳になると、島の守護神となった。神話ではあるが、限りなく伝説に近く、蛇の子を産んだ娘の屋敷跡までが、おおよそ特定されているあたりも、小文治の物語と近い。
ある日、そんな話を、民話の語り部で有名な五十嵐七重さんとしていると、面白いことを教えてくれた。只見、南郷を越えたあたりになると、五十嵐家も小文治も姿を消し、蛇の子を身籠った娘は、五月の節句に菖蒲湯に入り、穢れを落としてやれ助かったという話になるという。伝説は、民話になった。
小文治の伝説は、遠く離れた南の島まで、その原型を大きく変えることなく、二千キロもの長い旅をした。一方、会津では、山間の村をめぐる間に、ひとつの話に尾ひれや背びれがつき、やがて顔つきまで一変する。
七重さんは、さらに興味深い話をしてくれた。
ある時、七重さんとお母さんが温泉につかっていると、お母さんが、ふと、「おめ、なんぼになった」と聞いた。「もう四十も過ぎた」と答えると、そんなになったのかと驚き、「本当は嫁入り前に聞かせる話だったが」と前置きをして、語ってくれた話があったという。
つまり民話は、嫁入り道具として、娘に持たせる財産にもなり得るというわけなのだ。囲炉裏端や寝床や、ばっぱや母ちゃんの背中ごしに、繰り返し語られてきた民話は、体温や匂いを通して、たぶん、体の中に入り込む。そして、どう生きるか、どっちを選ぶかという瞬間に、声もなく音もなく、自覚もなく、きっと、ひょいと顔を出す。
湯の中で、七重さんが聞いたのは、『藁三足と塩一升』というお話。生まれ持った運を生かすも殺すも自分次第。「どっちにしても使いよう、人のせいにはすんでねえぞ」ということを、七重さんのお母さんは、嫁入り前の娘に聞かせたかったのだ。
ちなみに、これと同じ話が、宮古島では、史実として残る島の英雄のルーツとなる出生秘話であることに、また驚いた。民話の旅は巡り巡り、土地と土地をつないでいく。
(月刊会津嶺2024年11月号「旅とことば」を加筆修正)