人体像把手(とって)付土器(土偶付土器)について | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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人体像把手(とって)付土器(土偶付土器)について

2024.11.04

連載第四回 祈りの器?

柳津町文化財専門アドバイザー 長島雄一

 では池ノ尻遺跡の人体像把手付土器(土偶付土器)の用途とは一体何でしょうか? 最も肝心な詳しい出土状況が不明という事もあり、用途の確定はとても難しく、今の段階で断定することは不可能と言わざるをえません。
 ただ残存する胴部の外面には熱によると思われるわずかに黒ずんだ箇所や器面の荒れが、ほんの少しですが観察されます。そうした状況から、日常的に強い火を受けて調理具として使われていたような土器ではなく、何らかの儀礼や祭祀などに使われた可能性が強いと考えています。
 あくまで想像・推測ですが、土器の大きさ(推定高約80㎝)からみて、新生児~乳幼児の棺として使われた可能性を指摘しておきたいと思います。あるいは葬送に関する儀礼などに使われたものかもしれません。仮に子供の埋葬を想定するなら、土器の内側を向く一対二体の人体像は、我が子を埋葬し、新たな命となってよみがえる(復活・再生)ことを祈る両親の姿なのでしょうか。あるいは集落の司祭者、また精霊や祖霊(祖先の霊)の姿を表現した土器なのでしょうか。謎は残されたままです。
 こうしたことに関して考古学者の山田康弘氏は、様々な縄文土器を分析する中で、縄文人の基本的な考え方として「円環的死生観」を推定しています(『縄文時代の歴史』講談社 2019など)。
 土器の中に子供の遺体を入れて埋葬するという習俗は、東アジアを中心に世界中で見られます。土器(母体)の中に死んだ子供を戻し、再度生まれてくることを祈る。この場合、土器は死と再生を司る変換装置と言えます。そして、その行為は「回帰・再生・循環」という「円環的死生観」という考えを具現化する行為と言うことができるでしょう。本資料もそうした使用方法がとられていたのでしょうか? 
池ノ尻遺跡の人体像把手付土器(土偶付土器)は様々な解釈が可能な土器です。難問ですが今後も類例の増加を待ちつつ、学際的な検討を重ねていきたいと思います。
 縄文の人々が、現代の私達よりも遥かに野生に近い人々と考えれば、彼らが見ている景色や物、見え方や考え方、ひいては価値観が現代人と同じだったと言い切る事はできません。あるいは現代の私達が失ってしまった感性が、縄文という時代にはあったのかもしれません。
 自然と共に生き、私達が感じないようなものまで鋭敏に感じ取り、受け取りながら暮らしていく。そのメッセージの受動性を多分に含んだ交感が、人々を様々な造形へと向かわせる「はたらき」となっていたと考えられます。

*池ノ尻遺跡から出土した人体像把手付土器(土偶付土器)は、やないづ縄文館で展示・公開されています。また精細な画像は、以下から閲覧することができます。
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