【むら歩き】 農耕開始期の石器組成 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【むら歩き】 農耕開始期の石器組成 

2023.07.15

菅家 博昭(かんけひろあき)

 旧石器時代から縄文時代に移行する縄文草創期と、縄文時代から弥生時代に移行する時期の研究が進展している。特に弥生時代の農耕を考える上で、縄文時代後期から穀物栽培を行っていたとし、その利器である石器組成の定量調査を行い、その変化から列島内部の農耕を考えたプロジェクトがある。

 千葉県佐倉にある国立歴史博物館は、『農耕開始期の石器組成3』(1997年)を刊行した。列島を4分冊で修正した労作である。3巻は北海道・東北・関東の遺跡が掲載されている。同館の春成秀爾・設楽博己・藤尾慎一郎の3氏が担当した。
 東日本では穀物栽培を行っていた可能性のある縄文後期後半から本格的な水田農耕の定着をみる弥生Ⅳ期までを対象に、縄文以来の石器を含めた石器組成の把握をしている。縄文的な生業体系から弥生的な生業体系への転換を石器組成を通して考えた。縄文時代以来の採集・狩猟・漁撈活動が水田農耕の開始と定着にともなってどのように変化するのか?福島縣は吉田秀享氏が集成作業を行っている。
 福島県内の40カ所の遺跡(発掘調査報告書)のうち、会津地方では12遺跡が選定された。奥会津では三島町銭森Ⅱ、南郷村村下、隣接し会津高田町上冑C、下谷ヶ地平C、会津坂下町鬼渡りA・能登、山都町金山・沢口、磐梯町角間、北会津村和泉、会津若松市川原町口・門田条里制跡である。
 福島県の縄文時代後期中葉から弥生時代の石器組成変遷は、狩猟具とした石鏃は後期は2割程度あったものが晩期で減少するが、また増加する傾向がある。
 土掘具とした打製石斧は変化がみられない。ただ会津地方の上冑A遺跡や銭森Ⅱ遺跡では打製石斧の割合が石器組成のなかで目立ち、中通り・浜通りの遺跡では打製石斧は少ない。弥生時代Ⅳ期で石鍬と呼ばれる打製石斧の割合は増加する。
 加工具とした石斧類では縄文時代の影響を残す両刃石斧は弥生時代になっても石器組成のなかに認められる。大陸系磨製石斧は弥生Ⅱ期に出現し、Ⅲ期で両刃石斧と同率となりその後は大陸系磨製石斧の割合が増加する。
 除草具・収穫具とした大型板状石器や磨製石包丁も大陸系磨製石斧と同様の傾向を示す。祭祀具は弥生Ⅲ期でほとんど出土しなくなり、精神的文化面でも縄文文化から脱皮し弥生時代に入ったと推測できる。
 相対的な石器出土量は、縄文晩期前葉と弥生Ⅴ期において減少する。石器量の減少が鉄器化を示すとすれば、この時期に普遍的な鉄器化が認められることになるが、未だ鉄器の出土はなく、検証されていない。