【むら歩き】 『黒岩洞穴』(金山町) | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【むら歩き】 『黒岩洞穴』(金山町) 

2023.07.15

菅家 博昭(かんけひろあき)

 金山町水沼の黒岩洞穴(どうくつ)。この調査では163点の骨片から、ニホンジカが多く、ツキノワグマ、イノシシ、タヌキ、キジ、ウサギ、淡水産のカラスガイ、タガイと人骨が確認されている。縄文晩期、奈良時代、平安時代と思われる土器等、石鏃も1点出土している。

(福島県金山町教育委員会、1976年)

 この発掘調査報告書の「はしがき」は東北大学教授の芹沢長介氏によるもので、昭和49年(1974)の秋、東京の海城学園高校教諭の周東一也氏からの手紙でこの発掘調査の要請があったことが記されている。翌年の昭和50年4月30日から9日間、東北大学文学部考古学研究室によって調査が行われた。同大学の助手・岡村道雄氏が発掘指揮をとり、考古学専攻生十二名が参加(藤原妃敏氏の名もみえる)。柳田俊雄氏、小野田正樹氏、小林和彦氏、桑月鮮氏、佐藤則之氏が共同討議の上で報告書を執筆した。
 福島県庁から文化課の木本元治氏、國學院大學から佐藤甲二氏が参加している。周東氏は國學院大卒で、佐藤甲二氏と金山町中川の宮崎遺跡の発掘調査等を行っている。この後、周東氏は高校を辞し東京を離れ、会津若松市一箕町鶴賀に所在した日本文化厚生財団附属医学資料館の館長として赴任する。
 岡村道雄氏は新潟県で1948年に生まれ、考古学者で東北大学卒。宮城県の東北歴史資料館、文化庁、奈良文化財研究所などに勤務された。私は周東氏の自動車に同乗し昭和56年(1981)10月11日の宮城県座散乱木遺跡の第3次調査の現地説明会に参加したことがある。2000年11月5日、毎日新聞が旧石器捏造事件をスクープし後に見直し作業が行われた遺跡である。
 岡村氏が1978年に東北歴史資料館で松島湾の里浜貝塚の発掘調査を開始した際も、周東氏と訪問している。出土した魚類骨片を、現生標本と1点ずつ同定する作業を見学した(岡村道雄『縄文の列島文化』2018年、88ページ)。考古学の新しい研究方法の開発が行われていて、驚いたことを覚えている。

 旧石器時代から縄文時代の移行期を含む重要な意味を持つ遺跡として、西会津町の塩喰岩陰遺跡、そして新潟県阿賀町の小瀬ヶ沢洞窟・室谷洞窟がある。会津と新潟は近接し降雪があり環境も似ており、金山町御神楽岳で接している。
 小熊博史氏は『縄文文化の起源をさぐる 小瀬ヶ沢・室谷洞窟』(新泉社、2007年)で、越後長岡の考古学者・中村孝三郎の歩みを追いながら阿賀野川流域の洞窟にたどり着くことを書いている。縄文時代草創期の全貌が記されている。ここでは動物の骨を加工した骨角器(こっかくき)の骨針(こっしん)が残存していた。
 室谷洞窟の下層からは213点の動物の骨が出土した。ツキノワグマ、ノウサギ、カモシカ、ムササビ、サルなどで、小瀬ヶ沢洞窟と同じにツキノワグマやカモシカが多く、山岳地帯で狩猟対象になった動物相を示している。その9割以上が焼けた骨で、灰白色化している。
 室谷洞窟の上層から出土した骨角器は23点あり、刺突具や骨針が多い。骨針は表面をていねいに磨いて仕上げている。獣骨類は7441点で、焼骨は全体の1~2割であった。生の骨が意図的に割られたことを示す、割れ口が螺旋状の破片も多い。これは狩猟した獲物の解体を行い、その一部を調理して骨髄まで取り出していたことを示している。
 ツキノワグマ、ノウサギ、カモシカが多く、シカ、アナグマ、タヌキ、ムササビ、サル、イノシシ、カワウソ、テン。鳥類ではキジ。貝類はカワシンジュガイ、カラスガイ、シジミ類など淡水貝類が7種。ヘソアキクボガイとアサリは海産で、汽水産の可能性をもつシジミ類がある。