【奥会津の介護事情】 自宅で看取る ~住み慣れた家で~③ | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【奥会津の介護事情】 自宅で看取る ~住み慣れた家で~③ 

2023.07.15

舟木 志子(ふなきゆきこ)

 ハルヨさんは厳しい母だった。由美さんは末っ子だったが、甘えた記憶も甘やかされた記憶もあまりない。よく叱られ、幼いころは母が恐かった。自分は母親にどう思われているのだろう、そんな風に母の愛を疑うことすらあった。
嫁入り道具にと持たせられた浴衣。結局ほとんど袖を通さないまま年月が過ぎ、このままではもったいないから何かに作り直そうと解いてみた。初めて触れる、丁寧でまっすぐな、確かに母の手による縫い目と、正確で几帳面な仕立て。
嫁ぐ娘の幸せを願いながら、一針一針丁寧に縫ってくれたその浴衣を、由美さんは、母の想いをかみしめながら、糸を解いた。
その時初めて、母は自分を愛してくれていたのだと、大切に思ってくれていたのだと、愛を伝えるのが不器用な人だったのだと気付き、浴衣は涙でぬれた。糸を抜くごとに長年の心のわだかまりも解けていった。

 ハルヨさんは病院から自宅に戻ってきた。そして在宅での看取り介護が始まった。
 由美さんとお兄さん夫婦は役割分担をした。由美さんは、ハルヨさんに直接かかわることを、お兄さん夫婦は食事のことや掃除・洗濯などを由美さんがハルヨさんのことに集中できるようにサポートしてくれた。
 在宅で看取るにあたって、退院前に医師と相談し、在宅酸素や点滴などの医療行為はやらないと決めていた。看取りのステージになっている人に点滴などを行うことのデメリットなどは十分に説明を受けていたので迷いはなかった。
 奥会津在宅医療センターの看護師さんは毎日来てくれて、身体を拭いたり口の中をきれいにしてくれたり、おむつ交換もし、身体全体の様子を観察してくれた。ヘルパーさんにもおむつ交換をしてもらった。入浴車が来て寝たままでお風呂に入れてもらうことも出来た。もちろん、医師には訪問診療もしてもらった。
 ちょうど新型コロナ感染症の流行がとても少ない時期だったので、南相馬に住む長女さん夫婦も逢いに来ることができた。遠くに住む孫たち、近所の人たち、ハルヨさんが逢いたいと思う人たちがみんな来てくれて、それぞれが「これが最後かもしれない」と感じながらも、「また来るからね」と言った。病院や施設の看取りでは叶わなかったであろうことが、自宅だからこそ出来た。家の中には、温かく穏やかな時が流れていた。
 由美さんはハルヨさんと二人になると、色々なことを話した。季節の移り変わり、畑の様子、庭の花、孫たちの事、ハルヨさんはうなずいたり時々笑ったりしながら聞いてくれた。母と過ごす濃厚で幸せな時間だった。
 自宅に帰ってきてから10日目の朝、呼吸が変わってきた。不安が無いわけではなかったが、訪問看護の看護師さんからは「様子がおかしいと思ったり心配な時は、夜中でもいつでも良いから電話ください。」と言われ、安心できた。
 それから2日後、ハルヨさんは静かに息を引き取った。苦しそうな様子もなく、仏様のような穏やかな顔で旅立った。
 奥会津在宅医療センターの医師と看護師がすぐに来てくれて、死亡の確認、そしてエンゼルケアと言われる亡くなった後の処置もしてくれた。心のこもった温かい対応に、心から感謝した。

 母を看取った日から1年4か月、由美さんは当時を振り返り、「支えてくださった皆さんのおかげで、安心して悔いなく看取ることが出来た。私たちにとっては、これ以上はない看取りだった。」と言い、微笑んだ。

一本の古木(こぼく)静かに命尽き周りの木木に光届ける