妄想の縄文展 金山町 | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

奥会津文化施設間連携企画

妄想の縄文展 金山町

2023.09.19

【金山町歴史民俗資料館】

「おらたちの村さ帰んべ」

「んだな、みんなして帰んべ」

 金山の縄文展の会場は、道の駅の一角にある。買い物をするついでに、食事をするついでに、ちょいと立ち寄れるコーナーに、「金山の縄文」が展示されていた。その中に、中川の石神平遺跡から発掘された住居跡の資料がある。縄文中期の遺跡とされるその住居跡は東西に7.3メートル、南北に7.2メートルの、ほぼ円形のとても大きなもので、中には石を組んだ炉と土器を埋め込んだ炉が一体になったもの(複式炉)が据えられていたという。ここにはきっと複数の家族が住んでいたにちがいなく、いっぺんに煮炊きのできる縄文のシステムキッチンは、大勢の食事をまかなうのに、さぞかし使い勝手が良かっただろう。
石神平遺跡をはじめ、金山周辺で発掘された遺跡は、沼沢火山噴火後のものらしい。それ以前の暮しの痕跡は、分厚く積もった噴火の堆積物の下に、今も埋もれたままだ。

 時は5500年前‥‥
 山に異変が起きていた。連日、大地が揺れ、地鳴りもやまない。山からは黒い煙が吹きだし、時おり赤い炎も見える。山の神が怒っている。そう人々は畏れ、朝に夕に祀りごとをおこない祈りを捧げるが、山の怒りは鎮まるどころではない。それどころか、日ごといっそう不穏を深めていった。
 やがて沼沢火山は大爆発を起こす。地面はうねり、空から石がふりそそぎ、火砕流が山を森を野を焼き尽くした。おびただしい噴出物が降りつもり、せき止められた川は、あちこちに湖をつくっては決壊を繰り返す。沼沢湖もこの時にできた。大噴火は地形を大きく変えたばかりではなく、そこに再び草木が生えるまで、実に500年もの月日を要したともいわれる。
そのとき、人々はどうしただろうか。彼らの自然をとらえる感度の高さは、たぶんわたしたちの想像をはるかに超えるはずだ。大噴火の前には次なる安住の地を求め、集落を後にしたにちがいない。とはいえ、この噴火の威力は宝永の富士山噴火に匹敵するほどで、火山灰は太平洋にまで降ったというから、一体どこまで逃げのびることができただろうか。

 金山はその後も繰り返し、災害に見舞われてきた。近年になっても、川の氾濫や土石流で消滅した集落は少なくない。それでもまた前を向く。暮らしの歴史は、再生の物語でもある。文化だってそうだ。たとえば歌舞伎や漆ろうそくの伝統や技。一度は無くなりかけ、そして復活した。

だからきっと、と妄想する。石神平遺跡に大きな住居を建てたのは、5500年前、この地を去り、生き延びた人々の子孫集団ではなかったかと。

「おらたちの創世の地に帰んべ」と、彼らが戻ってきたのではなかったかと。

菊地 悦子(きくちえつこ)