菅 敬浩(すがたかひろ)
柳津町の西山温泉は、まさに“温泉郷”という佇まいです。
西山地区を歩くと、東日本大震災があった2011年の暮れに亡くなった父親の影に出会うことがままあります。
昭和40年代、父は単身赴任で西山中学校の教員をしていました。指物大工さんであったA.さん宅に下宿していて、ずいぶんお世話になり楽しかったと、何度か聞いたことがありました。
西山地区を歩き、簡単な自己紹介をすると、私の名前を聞いた方が「あなたは、菅先生の息子さんか?」と言われたことがあります。
父は、昭和20年代に「T.自動車」に就職。その後帰郷してから教員になったという変わった経歴です。教員退職後、「親孝行したい時に、親は梨もぎ、って知っているか?」と私がきいたら、「親は無し、っていうのは知っている。」と真面目な答えが返ってきました。そんな父は、どんな教員だったのだろう、と想像するのです。
短期間でしたが、我が家で“農家民宿”をやっていたことがありました。その時に、首都圏のY.さんが宿泊。今でも年に何回かお会いする機会があります。その方が、西山温泉の大ファンになり何度も訪れて宿泊しているのです。西山温泉の魅力をお聞きしました。
「田舎の実家に里帰りしたような雰囲気であることです。ただし、それは、私達が特別に親しくさせていただいたことが大きいです。夕食・朝食は、多くは、おじいさん・おばあさんと世間話をしながら、食べます。時折、近所の人がお風呂に入りに来ますが、風呂あがりには、ぼくらの夕食に同席することも多々あります。
また、たとえば春は、おばあさんとアサツキを掘りに行きます。掘ったあとは、おばあさんと一緒にアサツキを洗います。それが食事に出てくるし、お土産として持ち帰らせてくれます。
時折、珍しいものも出てきます。熊汁は絶品。おじいさんが元気だった頃は、キノコや山菜がよく出てきて、一緒に採りに行くこともありましたが、土産にも貰いました。手作りの納豆も美味しかったです」。
ある時、昭和村で登山した折に、帰路立ち寄った日帰り温泉は、宿の名前の書体が恩師のものであったので、以前から気になっていた所でした。その温泉は、男湯と女湯で源泉が違うのですよ、と女将さん。これも気になって仕方がないのです。隣り合わせなのに、源泉が違うとはどういうことなのだろう・・・。宿泊すれば、もしかして“入れ替え”があるのだろうか?そんなことに想いを巡らすのもまた楽しいのです。
西山地区を歩くと、昔とあまり変わらないであろうあの山並みを眺めながら、父親も歩きながら見た風景なのだろうか、と思うのです。父の影を追うことが、親不幸者の私が出来る父への詫び状でもあります。