菊地 悦子(きくちえつこ)
先日、沖縄の宮古島から友人が会いに来てくれた。彼女の名前は與那城美和さん。宮古島を代表する唄者であると同時に、島の古謡を唄うただひとりの存在だ。
宮古島では、古謡のことをアーグ(綾語、美しい言葉)という。とても古い時代から、島の人々は、日々の労働や祝いごと、願いごと、男女の恋や親子の愛情など、暮らしのあらゆることを、口から口へと豊かな旋律で唄い継いできた。その多くは鳴り物を使わない素朴なものだけに、声の素の力が求められる。そんな理由もあるのだろう。近年は唄う人もいなくなり、失われつつあったアーグを復活させたのが美和さんだった。
そんな彼女が、「サンシン担いでいこうかね」という。さあどうしよう。わたしひとりが與那城美和という唄者を独占するのは、あまりにもったいない。というわけで、急遽、唄会を企画。会場は三島のお寺をお借りした。宣伝らしい宣伝をする暇もなかったが、平日の午前十時という時間にもかかわらず、当日は30名近くが集まった。
美和さんは宮古上布を着て現れた。昭和村のカラムシ織と同じものだ。カラムシ織の歴史は縄文時代に遡るというが、カラムシを育て、刈り、績み、染め、織るという全工程を、今でもひと所でおこなっているのは、不思議なことに昭和村と宮古八重山だけなのだ。宮古島と奥会津2000キロの距離をカラムシがひとっとびに結び、唄会は始まった。
うねるように、流れるように、渦巻くように、低く、高く、強く、繊細に、美和さんの唄がお堂に響く。いにしえの島言葉の意味はわからなくとも、震える空気が頭ではなく、まるで全身に入り込む。だから聴き手は、一節ごとに頷き、小さなため息をもらす。理解ではない。ただ、わかる。
島の古謡は、唱えのような呪術的神歌がそのはじまりといわれる。だからなのだろう。その唄には祈りの力が宿り、そして、どこか根源的といってもいいような懐かしさがあるのだ。
なんの前説もなく、ふいに美和さんが、ある唄をうたい出すと、それを聴くなり堪えきれぬように涙する人がいた。美和さんは亡くなった人を想う唄をうたったのだった。その人はそんなことは知らずとも、心を揺さぶられ、泣いた。聞けば最近、大切な身内を亡くしたのだという。
もしかすると太古の昔、まず唄があって、そして言葉が生まれたのかもしれない。そして、わたしたちは、時を越え、距離を越え、みんなつながっている。奥会津で聴く島の古謡は、そんなことを思わせるのだった。
※ 上記の原稿は、月刊会津嶺11月号に「菊地ぺろ」の名前で掲載したものです。会津嶺様の承諾のもとに転載しております。