遠藤 由美子(えんどうゆみこ)
野原がピィーンとかた雪になった日のことだった。
凧揚げしながら雪の上を走り回っていた勘平は、どこでどうしたか、道に迷っちまった。雪もボサボサ降ってくる。暗くはなるし腹もへる。
泣き泣き「かあちゃ~ん」って呼んではみても、聞こえるはずもねぇ。
つんのめったり、ころげたり、体中、雪だるまみてぇになっちまった。
寒くて震えながら、やっとこさっとこ、でっけぇ松の木の根元にたどりついた。
するとまぁ、おったまげた。
雪が少し解け始めた根元深くで、リスが一匹穴掘りしてんでねぇか。勘平に気が付いて逃げんべとしたが、あんまり深く掘りすぎて、穴から出られなくなっちまったらしい。穴ん中でピョンピョン跳びはねる。
「ばかだなぁ、おめえ。そんなことしてたらトンビに食われっちまうぞ」
リスは杏のような眼を大きく開いて、じぃっと勘平を見た。
「しょうがねえなぁ、おらが入って出してやんべ」
勘平はそろぅりそぉろり穴ん中さ入ってみた。リスは観念して耳をぴったり頭さ貼り付けて震えながらちぢこまってる。
穴ん中さ入ってみると、ビックリした。雪も風も来ねえし、ほっこりとあったけえ。
「これはいいなぁ!おめぇ、いまちっとここに居てくれねぇか。あとで必ず出してやっからな」
リスはますますちぢこまった。
深い穴の底には黒い土が見えていた。勘平はモソモソと体を動かして、やっと収まりのいい格好になった。ちぢこまってたリスをつぶさないように腹の上に抱いてやったが、食われっちまうとでも思ったか、ぶるぶる震えて、まるで腹の上で地震が起きてるようだった。
勘平は、何だか可哀想になって、さっきまでの情けねえほど心細かったことなど忘れて、優しくリスを撫でてやった。
「安心しろナ。とって食ったりしねぇからよ。おら、心細くて寒くてなんねぇ。朝まで一緒に居てくれねぇか?必ず穴から出してやっからよ」
そのうちリスも震えなくなった。腹の上の地震が落ち着いたせいか、へとへとに疲れてた勘平は、くーくーいびきかいて眠っちまった。
リスは今のうちに逃げんべと思って、そぉっと頭を上げて勘平を見た。
口をポカンと半開きにして、鼻水が二本、ペカペカに乾いて張り付いている。ところどころしもやけで赤く膨らんだひび切れた手は、まるでリスを守っているように、そっと背中においてある。
リスはなんだか急に勘平がいとおしくなって、小さな前足で勘平の耳のあたりをコリコリと掻いて起こそうとした。
「なぁ、起きろ。起きろっつうのに」
リスは何度も勘平の耳を引っ搔いたが、起きるもんでねえ。しかたなく、ペッシャッとほっぺたを引っぱたいた。
「んにゃ?なんだ?」
寝ぼけ眼をしょぼしょぼさせながら、勘平はほっぺたを抑えて体を起こした。「おお、痛ぇ。おめぇ、何かしたか?」
「ああ、わりいが、ほっぺた引っぱたいた」
「おら、おめぇに何も悪さしねえぞ」
「んだ。そんでもよ、このまんま眠っちまうと、おめぇ死ぬぞ」
「腹へって、くたびっち、おら、眠くてしょうがねぇ」
そう言いながら勘平は頭をグラグラさせてまた眠っちまった。
リスはまた、ペシャッと勘平を引っぱたいて言った。
「おめぇ、なんつう名前だ?」
「…おら…かんぺえ…」
「かんぺえか。おい!かんぺえ!起きろ!」
何べん引っぱたいても勘平は眠っちまう。リスは急に何かを思い出したように、耳をピンと立てると、勘平の体の下にもぐり込んで、しばらくガサゴソ動いていた。勘平の腹の上に戻ってきた時は、それはまあ汚え顔で、耳まで土かぶって真っ黒けだった。それでも両手に土の塊みてぇなものを抱えてきて、一生懸命泥を落としていたが、それはヒメクルミだった。
カリコリカリコリと殻を齧っていくと、中からうまそうな実が出てきた。
「かんぺえ、かんぺえ、クルミだぞ。食え」
うまそうな匂いが届いたのか、勘平はちっとだけ目を開けた。リスが無理やり勘平の口にクルミを押し込むと、勘平はうまそうに食った。
「んめえか?」
「うん!んめぇなぁ!」
「もう一つ食え。目が覚めんぞ」
勘平はアッという間に食っちまった。リスは大急ぎで勘平の尻の下を掘って、又二つ抱えてきた。腹がへってた勘平は、土がついたままのクルミをガチッとかみ砕いて、とうとう14個も食った。
何度も何度も穴掘りをしたリスは、全身土だらけにしてヨタヨタと勘平の腹によじ登ると、最後の1個を差し出した。
「これで終わりだ。あとはねぇからゆっくり食えよ」
最後のクルミだと受け取った時、初めて勘平は変だなと思った。
「なんでこんなにクルミがあっただ?」
「秋のうちに、ここに埋めておいただ。冬になっと、食うもんなくなるし、そん時に掘って食うようにヨ」
「それでおめえ、こんなに深く穴掘ってたのか?」
「んだ…」
「おめえも腹へってたんだな」
「‥‥‥」
「おら、みんな食っちまって、わりぃごとしちまった。勘弁してくろ。ひとつしかねえが、早く、これ食ってくろ」
勘平は泣きながら最後のクルミの土を払って、リスに差し出した。涙だか、鼻水だか、よだれだかわからねえほど、顔中ぐちゃぐちゃだった。
「おめえ、ちっとは元気出たか?」
リスは心配そうに勘平に聞いた。
「さすけねぇ。クルミいっぺぇ食ったら眠くねくなった。これはおめえが食え」。
リスはうまそうにカリコリとクルミを齧った。
「おらぁ、勘平って言うだ。おめぇは?」
「おらか?おらぁ…リスだけどヨ」
「名前ねぇのか?」
「そんなもんなくったって、仲間はみんなおらだってわかってる」
リスは両手で顔をツルツルと撫でた。口の周りについていたクルミのかけらも、ついでに口に押し込んだ。
「大事なクルミ、みんなおらが食っちまって、これからおめぇ、どうすんだ?」
「なぁに、雪掘れば、草の根っこぐれぇはあるし、さすけねえ」
「なんでおめぇ、おらに大切なクルミ食わせただ?」
「あたりめぇでねえか。あのまんまじゃ、おめぇ死んじまう。クルミでも食えば、ちっとは元気が出るべと思ってヨ」
勘平のぐちゃぐちゃの顔に、又鼻水が伸びた。
「どうでもいいけどヨ、汚え顔だな、かんぺえ。鼻ぐれぇかめ」
勘平は「うん」と言うなり、着物の袖口でチーンと鼻をかんだ。ちっとはすっきりした顔になったが、鼻の下だけが妙に赤くて、やっぱりおかしな顔だった。
いつの間にか東の空が白んでいた。
遠くの方から「オーイ、オーイ、勘平どこだぁ!」と、村人たちの声が聞こえてきた。
「かんぺえ、おめぇんとこ探しに来たぞ。今のうちにおら、木の上の巣サ登んぞ」
「今度いつ会える?」
「そうたびたび会ってたまるか。それより、おらがここにいたこと、誰にも言うなよ」
「絶対言わねぇ。そしてな、今年の秋はこの同じ場所に、クルミいっぺぇ埋めとくからな。冬になったら又ここサ来て掘れよ」
勘平はそう言いながらリスを高く持ち上げて、太い幹に張り付かせた。
「それから、穴掘る時はもうちっと斜めに掘れ。そうでねえと、また出られなくなっちまうぞ」
リスはこっくり頷いて、ピューッと幹を駆け登った。
「おら、忘れねぇぞぉ!ありがとうなぁ!」
木の途中でリスは振り返ると、じっと勘平を見た。そしてたちまち幹の色に溶けて見えなくなった。
モソモソと根開きから這い出してきた勘平を見つけて、村人たちは大声をあげた。
「勘平だ。勘平のヤツ、生きてたぞ!」
勘平は照れ臭そうに「エヘヘ」と笑って鼻水をすすった。
その年の秋、勘平は、あの松の木の根元にクルミをどっさり埋めた。
次の年も、その次の年も、そのまた次の年も…。
毎年毎年、埋めるたびに、リスが勘平に手紙を置いておくのを知っていた。
必ずいつも、一つだけクルミが残っていたからだ。それは勘平への贈り物でもあった。
そして何回目かの秋。
クルミはそっくり手付かずのまま穴の中にあった。
それはリスの最後の手紙だった。
去年のクルミを握りしめて、勘平は初めて泣いた。