五十嵐 乃里枝(いがらしのりえ)
先日、久しぶりに会った知り合いが、
「今日、五十嵐さんに見せたいものあるから持って来た。」
と言って古びた新聞の切り抜きを見せてくれた。その方の、数年前に他界されたお父様の遺品を整理していたら、あちこちに赤鉛筆で傍線が引かれたこの切り抜きが見つかって、よく見ると私の名前があったからと持参してくれたのだった。
それは、私が結婚した翌年、初めての出産を迎える直前くらいに書いたコラムだった。32年前のちょうど今頃、私はこんな気持ちでこの町での人生を選んだのだった、とあらためて思い返した。
最近ちょうど、この地域に嫁いで、子どもが減少していく中で子育てをしている若いお母さんたちの不安や悩みの話をさまざまに聞いていたところだったので、このコラムが何らかのかたちで彼女たちへのエールになればと思って、ここに再掲させていただく。
もし、今の自分が、32年前の自分になにか伝えるとするならば、それはこの一言である。
「そのように選択してくれて、ありがとう。」
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三月とはいえ山々にまだらに残っている雪を眺めながら、故郷で春を迎えるのは中学卒業以来、何度目だろうとふと思いました。雪深い故郷の力強い春― 山肌から白いものが徐々になくなり、黒ずんでいた木々の芽がふくらんで山一面がぼおっと赤くかすみはじめ、それが次第に黄緑色に変わっていき、雪の下の黒土にはふきのとうやあさつきがみずみずしく顔を出し始める季節。春は大地からわきあがり、すべての生きものに生命を吹き込んでゆきます。雪におおわれた長い冬があるからこそ、春の恵みが心から素晴らしいものと感じられるのでしょう。故郷を離れ、初めて他の土地で雪のない冬を過ごしたときに、春の到来のあまりのあっけなさが物足りなく感じられたのを思い出します。
数年間の不在の後にこの故郷に居を定めた今、かたちとしては故郷に戻ってきたことになるわけですが、私としては戻ってきたというより生き方として選択し、歩んできた結果だと思っています。
この故郷の町は、年ごとに住む人の数が減ってきています。人口減少、いわゆる過疎状態は、私の住む町のみならずかなりの町村が抱える問題のようです。過疎化に対しては、何とか人をとどまらせよう、観光客を呼んで町村を活気づけようなどとさまざまな対策がとられているようです。しかし過疎の問題は、人口が減るという現象にあるのでなく、むしろそこに住む人の心の中に過疎が存在することにあると思うのです。外部の人に対しては、ここは自然に恵まれている素晴らしいところだと宣伝しつつもその実、そこに住む自分は自然などには関心がない人や、定住化対策などを唱えながらも、実際、自分の子供のことになると、こんな所に住まなくていいと思っている人などは割合多いかもしれません。その根底にあるのは、その人がその町で、村で暮らしていることを自分の選択の結果として受け入れていないということでしょう。跡取りだから、親が年をとったからなどの理由で故郷に戻らざるを得なかったのだ、という人もいるかもしれません。
しかし考えてみるに、それもやはり最終的に跡取りとしての生活を選び、親を思いやって故郷での生活を選んだのですから、やはり自分の選択の結果なのです。
人は自分で選んだことに対しては責任があります。その責任とは、自己の選択に対し、開き直りでもない、また鼻につくのでもない謙虚な自信を持つことだと思います。自分の生き方にそういう自信を持っている人が暮らす町や村は、たとえ人口が少なかろうと過疎の町、村ではなくなるでしょう。
私はこの故郷の街でいきいきと豊かに暮らしてゆきたいと思っています。そんなことを思っている友人たちと「どんぐり学級」というグループをつくり、子供たちと一緒にキャンプをしたりコンサートを催したり、一緒に勉強する会を持ったりしています。これらの活動を通して、子供たちが自分の故郷の素晴らしさを心と体で感じ、そこでいきいきと豊に生活しようとしている大人たちの姿から何かを感じ取ってくれればと思っています。その結果、子供たちが将来、この町に住むかどうかが問題ではなく、どこに住もうと、自分がこの故郷の自然とともに、力強い春の息吹の中ではぐくまれてきたことに誇りを持つことができれば、それは必ず彼らが人生の選択をする時において確実な道標となると信じるからです。