【風・奥会津⑪】雪国で暮らすこと | 奥会津ミュージアム - OKUAIZU MUSEUM

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【風・奥会津⑪】雪国で暮らすこと NEW

2026.02.15

五十嵐 乃里枝(いがらしのりえ)

 大雪の夜は静かだ。降り積もる雪がすべての音を飲み込んでしまう。近くを流れる川の音はもちろん、たまに家の脇を通過する車の音さえも、すべてが夜の闇の底に沈んだようにこそりとも音がしない。ふと、その静寂に気がついて、まさかと思って玄関を少し開けて見てみると、もう長靴が隠れるくらいの雪が積もって入口をふさいでいることもよくある。
 ここ数年、その雪の量が減ってきていたのだが、昨年の冬は一度に大雪が降った。そうなると会津若松市街地では除排雪が間に合わずに道路が渋滞したり、奥会津では倒木が道路をふさいで通行止めになったりと大変だった。
 しかし、還暦を過ぎた自分が子供のころにはそのくらいの雪の量は当たり前で、時にはもっとたくさん雪は積もっていた気がする。もちろん今のように成人のほぼ全員が車を運転するわけではなかったから、除雪も表の通りをブルドーザーでひと搔きするくらいだったと思う。家と家の間の狭い通りは両脇の屋根から落ちた雪がたまって尾根のようになっていて、その尾根を、足を踏み外さないように歩きながら、時折たるんだ電線をまたいだ記憶がある。当時の電信柱は、コールタールを塗った木製で、今のコンクリート製の物よりずいぶんと低かったのだろう。
 当時はどこの家にも藁で編んだ雪踏み俵があって、小学校の高学年くらいになると玄関から表通りまでの道つけを手伝った。玄関前に積もった一面の新雪に、新しい踏み跡をつけていくのはいつも楽しかった。
 やがて故郷を離れ、何年も経ってから帰省したとき、地元の物産館で雪踏み俵が展示販売されているのが目に留まった。その頃の除雪はスコップとスノーダンプにとって代わられていて、もはや使われなくなった雪踏み俵は「民芸品」として売られていた。これを都会の人がインテリアとして片方ずつ買っていくらしかった。これで雪道をつけたことのある人なら、片方だけを家に置くようなことはしないだろうな、と思った。雪踏み俵にしても、別れ別れになってぽつんとひとつだけ居間で花入れの器になっているなんて、さぞ無念なことだろうから。
 近年の雪国での生活は、スノーダンプだけでなく、エンジン式の除雪機を備えて雪片づけをする家庭も多くなった。道路の除雪体制も山間部に行くほど整えられており、車での通勤もスムーズになってきている。だが、やはりドカンと大雪が降れば通行止めや停電という事態は起こる。降りやまない雪を眺めながら「もう雪はいらねぇな、よっぱらだ。」と言うのがお互いのあいさつになる。雪のないあったかい冬もいいなあと言い合いながらも、雪が少なければ少ないで、夏の水不足を憂えたり、どこか物足りない気持ちにもなるのだ。
 ずっと雪が降り続いて、晴れ間が出ると風景は一変する。針葉樹林の山並みは新雪をまとって青空の下に広がり、田んぼに積もった雪の表面の結晶一片(ひとひら)ひとひらが陽の光を受けてきらめく。雪で清められた冷たい空気を深く吸い込むとき、祈りに近い気持ちが湧いてくる。こんな景色の中にいることができるなんて、ここに住んでいてよかった、と感じる瞬間だ。
 人間の力では到底作り出すことのできない壮大な世界。その前では、人間が自然を意のままにできる、などというおごりの気持ちは、力なく鎮まってしまう。

(月刊会津嶺 2026年2月号【風・奥会津】より転載)